
ほどく
1
何故私はここにいるのだろう…。
宇宙から無事帰還して、みな身の振り方を考えていて、私はフランスに帰りバレエを再開しようと考えていたのに…
なのに…
何故?
ジョーのマンションにいるのだろう。
日本の郊外のとある町。
高い建物もあまりない場所に唯一聳え立つマンション。
ここの最上階の角部屋にジョーは住んでいる。
夜景と言っても回りに建物がなく、住宅も少ないから、夜は暗い。
何故彼はここを選んだのか。
そして何故私はここにいるのか。
必要最低限の物しか置かれていないリビングの棚には、写真がひとつだけ。
みんなで写っている写真。
この頃の私たちにはもう戻れないのかしら…。
戦いに明け暮れていた日々だったけれど、あなたを近くに感じる事が出来た。
あなたは私を守ってくれた。
その気持ちだけでも幸せだった日々…。
手にとった写真立ての埃を払い、元の位置に戻す。
2
いつもそう、ある日突然彼は私の前に現れる。
あれからどれ位会わなかったのかわからない。
お互い忙しさから連絡すらしていなかった。
「恋人」と呼んでもいいのかと思える位。
でも彼は笑顔で「久しぶり」と言う。
私に会いたいと思う日はなかったのだろうか?
私は…
でも彼の笑顔は隣にいた人の存在ですっと消えた。
バレエの千秋楽を終え、バレエの師であるアズナブール先生と食事に行く所だった。
「邪魔みたいだから後で連絡するよ」
彼が私の前に現れる時は「よくない知らせ」を持ってくる時。
人間らしい生活をしている時は、自分の存在は思い出させるだけでしかないと、私の前には現れない。
本当に私の事を?
翌日彼を呼び出した。
アズナブール先生の事をバレエの師だと告げると「そう」と興味なさげに言った。
彼の心が読めたらいいのに…
読めたらきっと傷つくだけなのだろうけれど。
「何かあったの?」
そう聞くと彼はため息をついた。
「キミを呼ぶかどうか悩んだんだけれど…」
コーヒーカップを持つ手を眺める。
彼に守られていた日を思い出す。
お互い死線を越えて絆は強かった…はず。
「スペースウォッチコマンドが何者かに破壊された、何者かが地球に近づいてきている。他の仲間はコズモ博士の研究所に向かっている…」
彼は私を見る。
「キミが今の生活に満足しているなら来なくてもいいんだ…いちおう声をかけただけだから」
いちおう…
私を戦いに巻きこませたくない。
そう言いたいのは判る。
あなたは優しい。
でも…
本当に私の事を?
3
約束の時間に現れた私を見ても、彼は表情を変える事はなかった。
全てを捨ててきた私に彼は何も言わず、ただ手を握ってくれた。
多分それが彼の精一杯の気持ちなのだろうと、その手のぬくもりに涙を流す。
日本に着くと目まぐるしく事件が起こり、彼への気持ちなど改めて感じる暇はなく、気がつけば地球を見下ろしていた。
何も言わず黙っている私に、彼がそっと近づいた。
「ごめん、キミをまた危ない目に遭わせている」
別に彼が悪いわけではない。
それが私の運命なのだから…。
「あなたに再会してから色々ありすぎて、ゆっくり話もしていなかったわね」
そう言うと彼はクスッと笑う。
「確かにそうだ」
「あなたはまだ走っているの?」
シーズンになれば名前を見なかった事はない、順位だって常にチェックしていた。
でも…何も知らないかのように話してしまう。
「まあね」
彼はそっけなく返すと、その話を終わらせる。
「キミはかなり活躍してるようだよね」
「え?」
驚いて彼を見る。
「実はヨーロッパに滞在している時、時間があればキミの公演を見させてもらっていたよ」
「え…来てくれていたのなら顔を出してくれれば…」
私だって…どんなに会いたかったか…。
「キミが人間らしく暮らせている時には、ボクは不要なんだよ…」
この人は、私の気持ちなど何も解っていない。
人間らしく暮らせている時にこそ、あなたに会いたいのに…。
4
途中不時着した星。
船の燃料も豊富にあり、過去に文明が栄えていた跡があるが…
今は全て廃墟と化していた。
それが今地球を脅かしている者達の仕業なのは明確だった。
私は船に残り、調査に出た他のメンバーの報告を待っていた。
彼のいるグループから、囚われていたこの星の女王を助けたと連絡が来た。
何故か胸騒ぎがした。
女王を救出した事により、私達は英雄と称えられ、廃墟となっていた街も、原始人化していた生き残りの住民達も、女王の指揮の元、街の建て直しを始めた。
不時着時に損傷した船の修理も、船の燃料も、女王が手配してくれた。
私はまだ女王に会う勇気はなかった。
戻ってくるメンバーからは、絶世の美女などという声も聞いた。
そして彼がなかなか船に戻らなくなった。
仲間達が私に聞こえないように話をしている。
「女王はジョーしか見えていない」
…ちゃんと聞こえていますから。
船に帰ってきた彼は、何一つ変わる事なく、いつも通りに私に接する。
私は…肝心な事を聞き出せぬまま…
聞くのが怖かったのかもしれない。
でも…
変わらない態度から、女王との間には何もないかもしれない。と淡い期待もあった。
仲間達は面白がっているだけだと。
たとえ女王が彼に好意を抱いても、彼の心の中には私しかいないと。
そう信じたかった。
5
船の修繕を終え、船の燃料も詰め終わった。
私は早くこの星を去りたかった。
もうこれ以上彼を疑いたくはなかった。
出発の準備も進み、私は彼を迎えに行った。
多分女王の所。
お別れの挨拶をしに行っているだろう。
最後だから女王に逢う決心をした。
どんな女性なのか気になっていた。
神殿の前で立ち尽くした。
彼と女王が抱き合っていた。
引き返そうと思ったけれど、身体が動かなかった。
彼が私に気付く。
ぱっと身体を離し、私の元に駆け寄る。
「フランソワーズ…」
彼はまさか私がここに来るとは思っていなかったのだろう。
彼の肩越しに女王の姿を見た。
私に向けられた目が…痛かった。
「…ちょうど良かった、キミにも聞いてもらいたい」
何がちょうどいいのだろう。
私は…もう耐えられない。
彼の話では、女王にこの星に残って欲しいと懇願されたらしい。
でも彼は自分の使命や、さらわれている人たちの救出、そして地球を守る為に行かなければならないと言う。
…それがなければここに残るのかしら。
私はようやく顔を上げ、神殿で彼の言葉に呆然としている女王を見た。
地球人ではない、私達から見たら宇宙人だ。
でも男性ならきっと彼女の魅力に虜になるだろう。
気品と色気を兼ね備えている…。
女王は悲しそうに俯いた。
彼が好きなのね。
どこか他人事のようにぼんやりとその光景を眺めていた。
6
彼が女王にお別れを言い、立ち去ろうとした時、私の耳に信じられない程の飛行音が鳴り響く。
「敵艦が襲ってきたわ、物凄い数!」
逃げるのに必死だった。
彼は私の手を握り、走っている。
…女王はいいの?
「危ない!」
敵艦が私達めがけ攻撃してきた。
彼は私の上になり私を守る。
それが当たり前かのように
いつもやっている事のように
静かになり、起き上がる。
何もかも無くなっていた。
はっと気づき女王を探す。
彼も同じように探していた。
見つけた時は虫の息だった。
彼が女王を抱き起こす。
女王は彼に抱かれ嬉しそうに…
そして苦しそうに…
息を引き取った。
船は慌ただしく星を出発した。
何もできなかった無力さだけが全員に漂う。
彼は何かを考え込んでいるようだった。
慰める言葉も、励ます事も、何も出来なかった。
私の心の中にも何かが燻っていた。
それを確認する事も出来ずにいた。
7
その後も激しい戦いは続き、ついに敵の要塞に辿り着いた。
あなたは自分の命など、私の事など考えることもなく、ただ目の前の敵を倒す為に、小型シャトルに乗り込んだ。
「後は頼んだ…」
彼が船を出る前に私に言った。
もう逢えないかもしれない…。
心の中にあった彼に対するわだかまりも、ただ生きて帰って欲しいという気持ちになった。
やっぱり私はあなたが好きだから…。
敵は自分自身の欲に溺れ自滅した。
あなたには…欲はないの?
彼の願いは地球に帰りたい。
そして…。
もう帰る事がないと思っていた地球。
沢山の犠牲もあったけれど、再び地球に平和が訪れる。
有事が解決すればみんなまた別々の生活に戻る。
彼と逢えない日々…。
そんな事を考えていたら、彼が私の側で囁いた。
「キミはフランスに帰るの?」
「いずれは帰るけれど、しばらくは日本にいようかと思っているわ、博士の所にでもお世話になるつもり」
フランスの生活を捨ててきた。
事件が解決したからじゃあとすぐには帰れない。
久しぶりに博士に美味しいご飯を作ってあげよう。イワンと一緒に過ごそう。
そんな事を考えていた。
「日本にいるんなら、ボクん家に来ない?しばらくは日本のレースだからマンションから通うし」
「え?」
それってどういう意味だろう…
一緒に暮らすって事?
8
幸せな筈なのに
彼と一緒に暮らしたいと、離れている時はいつも思っていたのに…
生きていてくれたらとあの時消えかけた心の中の燻りが段々と大きくなっていく。
多分
こんな何もない空間にひとり取り残され、考える時間だけを沢山与えてくれた彼の所為…
散らかす物がないのだから、掃除もすぐ終わってしまう。
残された時間、ひとり考えるだけ。
夜になるときちんと帰ってくる彼の為に、夕飯を作る。
どれも美味しいと食べてくれるし、その日起こった出来事を楽しく語ってくれる。
でも…
やっぱり…
ある日何気なく見ていたテレビにアズナブール先生が映っていた。
生徒達に指導をしている先生の姿をぼんやりと眺めていた。
彼が帰って来ていた事に気づかなかった。
別に何の感情もなく、画面の中で踊っているアズナブールを見ていた。
急に画面が真っ暗になり、ハッと見上げると、リモコンを持ったジョーの姿だった。
「お、おかえりなさい、早かったのね、今、夕飯の支度をするから…」
慌ててソファーから立ち上がろうとした私を彼が制した。
「いいよ…ちょっと話そうか…」
私を座らせると、彼もソファーに腰掛ける。
「ボクといると面白くないみたいだよね」
「え?」
何を言っているのだろう…何か気に触る事をしたかしら…。
「キミはまだアズナブール先生の想いを捨てきれないでいるんじゃないのか?」
「アズナブール先生…?」
だってあなたはパリでアズナブール先生の話をしても興味無い態度をしていたじゃない!
「ここに来てからキミはずっと心ここにあらずだ。そんなにアズナブール先生の事が気になるなら、フランスに帰ればいいじゃないか!」
「そんな…」
言葉が出なかった。
心の中の燻りが段々大きくなってくる。
「あなたこそ…」
言ってはいけないといつも心の隅にしまっていた。
でももう…限界。
「女王の事をまだ想っているじゃない」
彼は悲しそうな顔をして深くため息をついた。
消したくても消せなかった。
何度も思い出してしまう。
彼と女王が抱き合っている情景を。
許せないのに、黙っていた。
忘れるなんて…ムリ。
「言い訳はしないよ、したって今のキミじゃ話を聞いてくれそうもない。」
冷静な彼に尚腹立たしくなる。
「もういいわ、わかりました」
私は荷物を纏め、マンションを後にした。
彼は追っては来なかった…。
9
とりあえず博士の所に向かった。
パリに帰るにしても、チケットを取らなければならないし、去る前に挨拶もしておきたい。
博士は留守でイワンがひとりゆりかごに乗り浮いている。
「博士は?」
「ちょっとコズモ博士の所へ行ったよ」
「…あなた、ひとり?」
「留守番位は出来るさ」
「まあ」
「…」
「…何しているの?」
「別に」
「心を読んだわね」
「どうせ話したくないんだろ?」
「何でもお見通しなのね」
私はイワンに聞こえるようにため息を吐くと、新しいソファーに腰掛ける。
「仕方ないんじゃない?」
目の前の赤ん坊はのんびりと言う。
「何が仕方ないのかしら?」
「ジョーは孤独に敏感なのはわかっているはずだけど?」
孤独?
「ジョーが女王に対して抱いた感情は、キミへの物とは違うよ。相手はそうは思わなかったようだけど」
あの時の女王を瞳を思い出す。
「つまりは孤独を感じ取って…」
「同情だね」
でも…2人は…抱き合って…
「ジョー自身孤独に耐える事が出来ない。ジョーにとってキミは孤独を救ってくれた人なんだからさ、きっと今頃は…」
「今頃は?」
「教えない」
「…」
イワンは人の心を読んでおいていつも肝心な所は教えない。
「私、フランスに帰るわ」
「ふーん」
「あら、引き止めてはくれないのね」
「止めても今の状態は解決しないと思うから…あ、フランスに帰る前にミルク頂戴」
イワンの呑気さに呆れながら、残された彼をちょっと想ってみた。
追ってはくれない事くらいわかっているのに、何を期待しているのだろう。
私だって…孤独なんだから…。
10
フランスに戻った私は、まずアズナブール先生の元を訪ねた。
先生は突然消えた私を責める事なく、暖かく迎えてくれた。
食事に誘われ、レッスンを再開させて欲しいと言った私に、先生は意外な言葉を返す。
「今のキミに私のレッスンを受ける資格はないな」
やはり突然消えた事を怒っているんだわ。
返す言葉も見当たらず、ただ俯くだけの私に、先生は切り出した。
「彼と何かあったのかね?」
彼?
顔を上げると先生は怒ってなどいなかった。
じゃあ何故レッスンを受ける資格がないと?
「キミがいなくなる前に、ある人と話をした…心当たりがある筈だ」
「ある人…」
「キミと一緒にいた時にキミを訪ねに来た人だよ。あんな有名人と知り合いとは驚いたよ」
ジョーの事を言っているとようやく気がついた。
でも話って?
「彼がスタジオに訪ねて来たんだよ、短い時間だったが話をした。」
「どんな…話…ですか?」
「もし彼女が突然いなくなってしまい、またあなたの前に現れたら、何も聞かずに受け入れて下さい…とね」
そんな事を?
「でも今のキミの顔を見ていると、受け入れられない。」
顔?
「キミは彼を愛している…違うかい?」
先生のストレートな物言いに顔が赤くなる。
「図星だな、わかりやすい」
先生は静かなレストランなのに大笑いする。
「先生、からかわないで下さい」
「あぁ、ごめん、キミと彼を見ているとついからかいたくなってしまう」
先生はワインを一気に飲み干した。
「彼はキミと私の関係が気になるくせに、それを私に問うことが出来なかった。今のキミと同じような顔をしていたよ。
その通りでキミ達はお互いの気持ちを伝える事が出来ずにヤキモキしているんじゃないのかな?」
「…」
「お互い素直になれば、お互い傷つく事もないのに、お互いの気持ちをさらけ出せば、お互いに信じられるだろうに」
信じる…
「彼とキミの間に何があるかはわからない。でも信じる事を忘れてしまったら終わりじゃないのか?」
でも女王と彼は抱き合って…
「彼の本当の気持ちをきちんと聞いてから、それからパリに戻ってきてもいいと思うが…」
彼の本当の気持ち…
聞いた事はなかった…
11
翌朝早い便で出たのに、日本に着いたのは夜遅かった。
彼の住むマンションは、交通の便が悪い。
駅からも距離がある。
住もうと思えば生活に便利な所に住めるのに、生活に不便な郊外のこの町を選んだんだろう。
車があるからと彼は言っていたが、車がない私にはマンションに辿りつくまでが果てしなく長い時間に思えた。
でも
その長い時間に心に燻っていたわだかまりが少しづつ解け出す。
女王と抱き合っていた事は今でも許せない。
でもイワンの言ったように、彼は孤独に敏感だから…
女王の孤独に共鳴しただけ…だとしたら?
彼のマンションが見えてきた。
立ち止まり深呼吸をする。
彼の部屋の電気は消えている。
もう寝てしまったのかしら?
ここからなら透視できる。
透視する前に見えたのは、
ベランダでポーッと星を眺めている彼の姿。
彼も彼できっと心に燻っていた物があったのだと思う。
エントランスのインターホンで彼を呼び出す。
夜中の来訪者に最初は怪訝な顔をしたが、モニターに映る私を見るなり「今、降りるから待ってて!」と言った。
「いいわよ、部屋にいて」
エレベーターに乗り込み深呼吸をする。
先生に言われた事を頭の中で繰り返す。
「信じる…」
傷つきたくなかったから、彼を問い詰めなかった。
彼もまたきっと言えなかった事があったはず。
彼の部屋のドアの前でもう一度深呼吸する。
チャイムを鳴らす。
私はドアを開けた彼に抱きついた。
「フランソワーズ…」
彼は夜中に突然帰ってきた私に驚いているようだった。
「あなたへの私の気持ちを全部語ってからフランスに帰る事にするわ、長くなるからなかなか帰る事が出来ないけれど」
彼は
「おかえり…ごめん、キミを不安な気持ちにさせていた」
と言い、身体を離した私をもう一度抱き締める。
「もういいわ、ここに来る前に解いてきたから」
「解く?」
「あなたに対しての心の中にあったわだかまりよ」
彼はきょとんとした顔をして私を見た。
「でも…まだ最後まで解いた訳ではないの」
私は彼の耳許で
「最後はあなたに解いてもらいたいから…」
と呟いた。
「…そっか」
彼が身体を離す。
「なかなか厄介なわだかまりみたいだから、朝までかかるかもしれないな」
彼の顔を見ると、悪巧みを考え出したいたずらっ子のような顔をしている。
「お手柔らかに」
私は笑う。
彼は私の肩を抱き、部屋に招き入れる。
部屋のドアがぱたんと閉まった。
~おしまい~
2016.1.16~1.26