
escape
1
まだ、夜も明けていない時間に家を出た。
彼に気づかれないように…。
逃げるように早足で歩く。
行先は決めていない、ただここから逃げたかった。
気づいたら駅前にいた。
ホームに入ると辺りが明るくなってきた。
まだ街が動き出す前。
ほとんど人のいないホーム。
空気が澄んでいた。
深呼吸をする。
やってしまった。と思う自分と、今ならまだ戻れると思う自分。
始発電車がホームに滑り込んできた。
ドアが開く。
電車に足を踏み入れた。
ゴメンナサイ
行ける所まで行こうと思っていた。
辿り着いたのは見知らぬ無人駅。
屋根すらないホーム。
ぽつぽつと雨が当たって来た。
乗換えの電車はまだ来そうにない。
とりあえず駅から出て雨宿りをしようと思ったら、急に雨が当たらなくなった。
「?」
ビニールの傘が頭上にあった。
おねえさん、どうしたの?」
高校生らしい。
「あ、ありがとう、でもいいのよ。雨宿りするから」
「この傘使い捨てだし、学校の忘れ物持ってきただけだから、持って行っていいよ」
「あなたは?」
「学校までそんなに歩かないし、いいよ、持って行って」
高校生はそう言うと、走って行ってしまった。
彼と・・・面影が似ていた。
2
ビニール傘を差しながら、乗り換えをあきらめ改札をくぐる。
ここはどこかもわからないままとりあえず歩く。
電車から海が見えていた。
しばらく歩いていると海が見えた。
どんよりした雲が流れていく。
青空が顔を出してきた。
雨も止み、閉じたビニール傘を振りながら歩く。
人気のない海岸にぽつんと人が座っている。
さきほどの高校生だった。
「あら?さっきの・・・」
高校生も気づいたようだ
「おねえさん」
「これ、ありがとう。もう雨も止んだから」
高校生に傘を返す。
「いいのに、そっか、雨止んだからじゃまだよね」
「・・・そんなつもりじゃ・・・ねぇ、君、学校は?」
平日の始業後の時間、こんな所に高校生がいるのは不自然すぎる。
「さぼっちゃった」舌を出す。
「悪い子ね」
「おねえさんも何かワケアリに見えるけど?」
「そう見える?」
「こんな田舎町の無人駅にいる人じゃないもん」
「そうだ、ちょっと早いけれどご飯ごちそうするわ」
「え・・・いいの?」
「傘のお礼よ」
高校生は、ビニール傘とフランソワーズを交互に見る。
「わらしべ長者みたい」
高校生が笑い出す。
「わらしべ…何?私、何か変な事言ったのかしら?」
「ごめん、ごめん。おねえさん日本人じゃないもんね。ありがたく傘のお礼をお受けします。」
「まあ」
2人は顔を見合わせ笑った。
3
ここには何もないからと再び電車に乗り、隣の駅で降りる。
ちょっと大人びたレストランに入る。
「この辺の高校に通っているの?」
「うん、さっきの駅から近いんだ」
高校生は慣れないナイフとフォークに格闘中だった。
「おねえさんはどこに住んでいるの?」
「かなり遠出してきちゃった」
言葉のわりには楽しそうな顔をしているフランソワーズに、高校生もそれ以上は聞かなかった。
フランソワーズは高校生のいい食べっぷりに、自然と笑顔になる。
「旨いね、ここ。高校生の分際じゃあなかなか来れないけどね」
「今度彼女を連れて来ればいいわ」
「いないよ」
「あら、イケメンさんなのにね」
高校生が顔を上げる。
「おねえさんは結婚してるの?」
「うーん、してはいないけど・・・」
「パートナーは、いるんだ・・・」
「ま・・・ね」
「日本人?」
「ええ」
「そうだよね、だから日本にいるんだよね、おねえさんはどこの国の人なの?」
「フランスよ」
「へぇ、フランス人なんだ」
高校生は水を一気に飲みほす。
ウェイターが気づいて水を足す。
「日本語上手いね、覚えるの大変だったんじゃない?」
「え…まぁ」
翻訳機能…なんて口が裂けても言えない。
「外国で、大変じゃない?」
そんな事聞かれるとは思わなかった。
「そうね、異文化は色々大変だけれど、もう慣れたわ。」
高校生はナイフとフォークを置いた。
「俺さ・・・、逃げているんだ」
その言葉の意味を理解できず、じっと次の言葉を待つ。
「今はとても楽しい、友達も沢山いるし、学校だって」
「そう」
自分の学生時代を思い出す。
楽しかったな。このままこの日々が続くと思っていた。
「そろそろ進路を考えなければいけなくなって・・・ずっとこの日々が続くと思っていたから、現実を突きつけられたようで」
うつむき加減だが、はっきりとした口調。
「友達はみな、それぞれの道を模索していて、自分だけ取り残されたような気がしているんだ。何になりたいって夢もないし・・・ただ、今が楽しければいいと思っていたんだ」
「そうなの・・・でも・・・」
フランソワーズの言葉に高校生は顔を上げる。
「夢がないって言っているけど、今のあなたには可能性が沢山眠っているわ。まだ遅くはないと思う。時間がかかったっていいじゃない。何かこれってものに出会うのに、急ぐことはないわ」
「・・・そう?」
「だから学校休まないでちゃんと行きなさい。まずは卒業しないと」
「はは、実は時々海岸でぶらぶらしてました」
「もう、おうちの方が聞いたら呆れるわ」
「ねぇ、おねえさんの連絡先教えてよ、これも何かの縁じゃない?」
「そうね・・・あ」
鞄の中を探そうとして気づく。
「携帯、家に置いてきたの。実は私も現実から逃げてきたの」
「ええ?」
「連絡取れないように」舌を出す。
「おねえさんだって、俺と同じじゃん」
「そうね」
「パートナーさん、心配してるんじゃない?」
「怒られるかも、今日は大事な用事があって、彼も私の為に時間を空けてくれていたから」
「あーあっ、フラれたら、俺んとこ来ればいいさ」
「え?」
「なんてね」
高校生は笑う。
思わず笑い返す。
「おねえさんに話をして、少しすっきりしたよ。ありがとう。こんなにおいしいランチまでごちそうになってさ」
高校生はノートを1枚切り、そこにペンで何かを書いた。
「俺の連絡先、今はまだ学生だけど、そのうち恩返しができるよう頑張りますから」
メモを見て微笑んだ。
「楽しみに待っているわ。私も帰ったら連絡するわね」
「ホント?パートナーさんに怒られない?」
「彼はそんな器の小さい人ではなくてよ」
「ノロケてる」
「もう、学校戻る時間じゃないわよね」
「まぁ・・・ね」
また説教かとちょっと小さくなる。
「ねぇ、ちょっとこの辺案内してくれない?」
「こんな田舎町だけど、いいの?」
「ええ、田舎町だからいいの」
「ふーん、変っているんだね、いいよ。」
2人はレストランを後にした。
4
高校生は地元の神社を案内する。
「夏祭りになるとここに屋台が沢山並んで、花火大会もあるんだ。」
階段を沢山上った先に境内があった。
まるで丘から街を見下ろすような景色があった。
「ここで花火を鑑賞するなんて素敵ね」
フランソワーズの少し前で街を見下ろす高校生の横に、一瞬浴衣姿の可愛い女の子の姿が見えたような気がした。
2人で参拝をし、おみくじを引く。
2人共「小吉」
「小吉が実は一番いい、なんて聞いた事があるんだ」
高校生が笑う。
2人共「約束を守れ」と書いてあり吹きだした。
「俺もこれからいろんなことあるんだろうな、おねえさんみたいに逃げ出したくなったりさ、そしたらここでおねえさんと話した事を思い出すよ。」
駅に戻るまでの道でも、2人は今日が初対面と思えないほど話をした。
フランソワーズはフランスでの事や、バレエの話。
高校生は学校生活や日常の事。
まるで旧知の友達みたいに。
電車が滑り込んできた。
夕方に近い時間になってきた電車の中は、午前中と違い混雑している。
学生がほとんどのようだ。
高校生は空いている座席を指差す。
「どうぞ」
「ありがとう」
吊革につかまる高校生を見上げる形になる。
まだ不完全で危い存在に見えるが、とっても頼もしくも見えた。
未来があるって羨ましくさえ思えた。
駅に着く。
「俺、ここの駅だから」
「今日は本当にありがとう」
「明日からちゃんと学校に行ってね」
「おねえさんこそ、ちゃんとパートナーさんに謝るんだよ」
「ありがとう、ショウ君」
名前を呼ばれ、恥ずかしそうに高校生が後ろ手を振った。
その仕草がジョーに似ていて、胸が熱くなる。
お互い「現実」に帰る。
帰ろう。
5
今朝は雨が降っていたのに、夕焼けが広がっていた。
現実から逃げた1日だった。
答えは出たのかどうかもわからない。
でも、朝出てきた時とは気分が違っていた。
私は人間だ。
逃げ出したいときもある。
彼には・・・迷惑かけちゃったけれど・・・。
でも、今日だけは・・・。
家の近くまで歩いた。
ジョーが玄関前の植木に水を撒いていた。
「・・・ただいま」
怒られるのは覚悟の上。
そっと見上げる。
「・・・お腹空いただろ?」
「・・・え?」
「夕飯作っておいたから」
顔は・・・怒っているが、口調はそんなでもない。
いっそのこと怒ってくれればいいのに・・・。
家に戻ると、しんと静まりかえっている。
「みんなは?」
「出かけた」
こんな日にジョーと2人きり・・・。気まずい。
自分が蒔いた種だけれど・・・。
キッチンからいい匂いがする。
カレーが作ってあった。
「もう少しでご飯が炊けるから、着替えて手を洗ってきなさい」
まるでお母さんね。
口には出せず、黙って部屋に行く。
部屋は朝のままだった。
思いついた家出だから、取るものもとりあえず・・・だった。
テーブルの上の携帯電話には、履歴があった。
ゴメンナサイ
心配させた。迷惑かけた・・・。
着替えて、手を洗って、リビングに戻る。
ちゃんと食事の準備をしてくれていた。
2人向かい合わせで座る。
「いただきます」
ジョーが言う。
カレーを一口入れる。
おいしい・・・。
涙が出てきた。
「・・・そんなにイヤだった?」
ジョーが静かに口を開く。
「・・・ごめんなさい」
「キミがイヤだというなら、順番をひとつずらしてもよかったんだ。ボクも時間が取れないから博士に代わってもらうよ。それならいいだろ?」
時々こういう気持ちになる。
彼に身体の中を覗かれるのがイヤなときがある。
たぶん・・・
彼には普通の女として見て欲しいのだと・・・。
「・・・ごめんなさい」
「でもさ、大事なことじゃない?もし、キミの身体に不都合があったら、早めに見つけられるんだよ?」
ジョーの言うことは正しい。でもその通りです。と言いたくないときもある。
「もう・・・逃げません・・・」
「メンテナンスがイヤで脱走したのはキミが初めてだよ」
呆れているのか少し笑いながら言う。
「ボクだってさ、気を使ってここ数日一緒に寝ていないというのに」
彼も数日前から準備をしてくれていた。
それなのに・・・。
「ボクの心のメンテナンスをして欲しいくらいだよ」
おどけて笑う。
「・・・」
きょとんとしているフランソワーズに
「ここ、笑うとこ」
ジョーが呆れる。
慣れない家事を一日やっていたのだろう。
フランソワーズが片づけをしているうちに、ジョーはソファーで眠っていた。
彼の大事な1日を自分のわがままでつぶしてしまった。
でも・・・彼は怒らなかった。
きっと、気持ちをわかってくれているから。
自分も同じだから・・・。
ジョーに毛布を掛け、キスをする。
ゴメンナサイ
そして
アリガトウ
(おしまい)
2015.7.9 ~7.13