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​不協和音

 

「ねぇ、ジョー」

「何?」

リビングのソファーの対面で、フランソワーズは編み物を、ジョーは本を読んでいた。

フランソワーズに呼ばれ、ジョーが顔を上げる。

「昨日バレエのレッスンに行った時に、雑誌の記者さんが来ていて、取材させて下さいって言われたんだけれど…受けてもいい?」

「…どんな雑誌?」

「バレエの専門誌よ、小松さんのスタジオを取材する時に、私がいた方がいいって…」

「小松さんとこの宣伝?」

「…それもあるかしら?」

「やれやれ、キミは広告塔にされちゃうんだよ…月謝安くしてもらおう」

「まぁ、ジョーのケチ!!」



「…とにかく、取材はOKね!!」

「…仕方ないんじゃない…」



そして次のレッスン日に、バレエ雑誌の取材を受ける。

間もなくその雑誌が店頭に並ぶ。


レッスンをしているフランソワーズの姿は大きく取り上げられていた。


ジョーはリビングのテーブルに上がっていた雑誌を捲る。


背筋をピンと伸ばし、凛としたフランソワーズの姿。

お互いに干渉せず生活してきたから、フランソワーズがバレエを踊っている所も見たことはなかった。

ジョーの知らないフランソワーズ。
心の奥がモヤッとした。


そして…。
同じ記事を異国の地で見ていた一人の男がいた…。




数日後のレッスン日。

レッスンを終え、帰ろうとした時、小松さんに呼ばれた。

「フランソワーズに会いたいという人が来ているんだけど…」

小松の後ろに立っていた男を見て、フランソワーズは固まった。

フランソワーズは考えていた。

あの雑誌が海を渡っていた。
あの人の目に止まってしまった。
…もう私には過去の話なのに…。

「…ワーズ!!」
「フランソワーズ!!」

「えっ?」

フランソワーズはビクッとした。

「どうしたの?水出しっぱなしだよ」

「あ…」

お皿も洗ってもいないのに、水を出していた。

「何かあったの?」

心ここにあらずがジョーにバレたらしい。

「ごめんなさい…何もないわ」

「そう?」





「キミの事を忘れた日はなかった…逢いたかった…」

…そんな事言われても…
私はあの日から先に進んでいたのに…
あの人は止まったままだったのね…。



ジョーの部屋でベッドに座り、窓の外を眺める。

月は日々変化する。
今日は上弦の月。

ジョーが部屋に入ってきた。
お風呂から上がったばかりで、バスタオルで頭を拭いている。

ベッドに上がると、フランソワーズを後ろから抱き締める。

「髪…まだ濡れているじゃない」

「乾くまで待てない」

「困った人ね」

ジョーが優しくキスをする。



「キミの事を忘れた日はなかった…」
今日言われた言葉が頭から離れない。


私には遠い遠い…まだ「人」だった頃の恋なのに…。




今日、先生に褒められたの。
次の主役に選ばれたの。
相手は…もちろん、先生よ。

先生に呼び出されたわ。
誰もいないレッスン室で。
演技指導だと思って行ったのよ。
「僕は…君が好きだ」と言われたわ。
嬉しかった。
そしてレッスン室でキスをしたわ。
愛されているんだ…幸せだった。

…あの日、誘拐される前までは…。



「どうしたの?」

ジョーが心配そうに眺めていた。


今、何を考えていたの?


忘れたい…忘れてしまいたい。
何故私の目の前に現れたの?

 

フランソワーズは、洗濯物を畳んでいた。

ジョーとピュンマはコズミ博士の研究所に手伝いに行っている。
イワンは寝ている。
博士はコズミ博士の家で囲碁だ。

ジョーのシャツを畳みかけた時、手が止まる。

昨日の事を思い出す。

彼の名はアズナブール。
フランスでバレエを教えている。
この世界ではそこそこの有名人で、バレエスクールにいた人達が色めきだった。

喜べなかったのは…フランソワーズだけだろう。

アズナブールはフランソワーズの姿を見つけると、走り寄り抱き締めた。

「逢いたかった、キミの事を忘れた日はなかった…」

突然いなくなり、かなりの年月が過ぎ、日本にいることがわかった。

「キミはあの日から全く変わらない…どれだけキミを探したことか…」

あなたも何も変わっていないわ…。

「キミの才能を求めている人は沢山いる、フランスに帰ろう」

今更…世界の舞台になんて立てやしない…。
だって私はもう…あの頃の私ではないから…。


「…ちょっと待って…少し考えさせて…」

「いきなりで悪かった…キミの姿を見たらいてもたってもいられなくなった…いい返事を待っているよ。」

少しも変わらない紳士な態度。
あの頃と違うのは…私だけなのかも知れない。

洗濯物をジョーの部屋まで持っていく。

彼の知らない私の…過去。
あの頃の…私。



電話が鳴り、ビクッとする。
出ると小松だった。

「フランソワーズ、今日もアズナブール先生がいらしているの、あなたと話がしたいって。」
小松は困ったようだった。

「ごめんなさい、今日は忙しくて行けそうもないの…帰ってもらって頂けませんか?」

「ええ…いいけど…このままって訳には行かないわよ」

「…わかってます。…わかってますから…」

フランソワーズは、溜め息と共に受話器を置いた。

 

研究所帰りの運転中、携帯が震えた。
車を路肩に付け確認すると、バレエスクールの小松からだった。

「フランソワーズは今日行っていない筈だが…」

気になったので折り返し電話をしてみる。

「あ、島村くん、ごめんなさい、忙しい所」

「いや、今運転中だったんで…何かありました?」

「フランソワーズのパリにいた頃のバレエの講師が来ているの…あなたと話がしたいって…」

「何故?」

「フランソワーズが話を聞いてくれないんですって…」

「そんな話聞いてませんが…」

「まぁとにかく、こっち来れる?」

「はい」

ジョーは首をかしげた。
何故自分と話を?
フランソワーズからそのような人の存在は全く聞いていない。

…自分に話さない…と言うことは…。

とにかく会って話を聞こう。


バレエスクールに向かおうと思ったが、場所を指定してくれと言うことらしい。
…腰を据えて話をする…って事か。



小松には浅草寺の交番の前で待っていてもらうように指示した。



ジョーが向かうと、落ち着いたフランス人男性が待っていた。
ジャンと同年代位だろうか…。

英語で話してきたので、フランス語でも大丈夫だと伝えると、ホッとしたように母国語を話し出した。

2人特別話すこともなく、隅田川沿いを歩く。


「とりあえず店に入りましょう」

ジョーは冴子の店に行く。

「いらっしゃい、あら外人のお客様?」

「冴子さん、小上がり空いてる?」
カウンターで飲まないというのは人に聞かれたくない話だと冴子はわかっていた。

「どうぞ」


テーブルに向かい合い座る。

スーツ姿のフランス人は、突然の無礼をお許しくださいとまず詫びる。

お互いにまず自己紹介をする。

ジョーは生体工学の研究員だと伝える。

アズナブールは、バレエの講師だと言う。


「お酒、飲みますか?」

「あなたは車で来られたんですよね?」

「ここのお店の駐車場借りますんで」

「では少し」


ジョーは冴子を呼び、お任せで何品か用意して欲しいと告げる。

「…で、話と言うのは…?」

切り出したのはジョーの方だった。

「ミセスコマツからフランソワーズを説得したいならあなたに相談するように…と教えていただいて…」

「フランソワーズに説得…って…何をですか?」

「あなたは彼女のバレエの才能をもちろんわかっていらっしゃいますよね?」
アズナブールの口調が強くなる。

「僕にはバレエの事は語りませんから…ただフランスの家で見たトロフィーや盾の数を見たら、才能がある事くらいわかります」

「あなたとフランソワーズがどのような関係なのかはわかりませんし、フランソワーズが突然行方不明になった経緯やその後も詮索する気はありません。ただフランソワーズの才能を終わらせたくないのです!!」

「…それだけではないですよね?」
ジョーが静かに問う。

「私はフランソワーズをずっと指導してきました。教師と生徒の関係ではありましたが…私は彼女に惹かれていました。」

…彼女なら惹かれるのも無理はない…。

「彼女も同じ気持ちでいてくれました…教師と生徒の関係から、パートナーのような…」

なるほど、そういうことか…。
ジョーは妙に冷静だった。

「共演した公演の千秋楽に、彼女にプロポーズするつもりでいたのです…しかし、彼女は突然消えてしまった…」

…そうやって誘拐されたんだな…。

「世界中のバレエ雑誌は目を通していました。彼女が…どこかでまだバレエをやっている…そう信じていましたから…」

「それで日本の雑誌を読んだわけですね?」

「…はい、公演の合間をみて飛んできました。あさってロシアに行かなければならないのです…それまでに返事が欲しいのです…」


「…でもフランソワーズが話を聞いてくれない…訳ですね」


「私の気持ちはあの頃と全く変わりありません。彼女をトップダンサーにも幸せにも出来る自信があります」
アズナブールの根拠のない自信に、ジョーは腹立たしさを覚えた。

「彼女が話を聞いてくれない…と言う事はNOという事なのでは?」

「あなたは…彼女と…フランソワーズとはどの様な関係なのですか?」

「多分、あなたが想像しているものが正解でしょう…僕だってフランソワーズを愛しています…ただあなたと違うところは…」

ジョーがアズナブールの目を見る。

「彼女を幸せに出来ない…という事でしょうか…」

「…幸せに出来ないのなら…何故彼女の側にいるのですか?」
アズナブールは納得いかない様子だった。

「彼女もそれを承知ですし…ただ一緒にいたい…そう思うだけじゃダメですか?」
ジョーは下を向き、ふっと笑った。

「yesかnoかも解らないまま、ここを去りたくないのです。こんな事をあなたに頼むのは筋違いなのは充分承知しています。彼女ときちんと話をしたいのです。」

アズナブールは、メモに何かを書き出した。

「このホテルに宿泊しています。明日一日待ちますから、彼女に来てほしいと伝えていただきますか?…それでnoなら諦めますから…」

「彼女の才能…ですか?それとも…」

「どちらもです」

「…わかりました、伝えておきましょう。」

「では、そろそろ。帰りは何の電車に乗ればいいのでしょうか」

ジョーは先ほど手渡されたメモを見る。

「途中まで同じ電車です。案内しましょう」

2人は店を出た。

 

一緒に電車に乗り、アズナブールは先に降りる。

「明日、待っていると伝えて下さい。」

電車が動き出す。
ホームを歩くアズナブールの姿が見えた。

落ち着いた雰囲気と、フランソワーズに対する情熱に、彼ならフランソワーズを幸せにしてくれる…そんな事すら思ってしまう。

電車の窓に写る自分の顔が、とても幼く見えた。

頼りなくて、約束すら出来ない男。
彼女を幸せに出来ない男。


雑誌に載ったフランソワーズの写真を思い出す。
自分の知らないフランソワーズ。
その頃のフランソワーズを知るアズナブール。
その頃…愛し合っていた…2人。

気づくと手で拳を作っていた。
自分が…彼女の側にいて…本当にいいのか…。



電車を乗換え、最寄り駅に着いたときには深夜だった。

バスなどないから、家まで歩く。

空を見上げると星が出ていた。
澄んだ真冬の空に満天の星。

顔を上げ空を仰ぐ


鼻の奥がつんとした。


自分が普通の人間なら…。
彼女を幸せにすると断言出来るのに…。
何の為に戦わなければならない?
誰のために…?


ようやくギルモア邸の敷地内に入る。

林を歩いていたら、向こうから誰かが歩いてきた。

夜中なのに?

よく見るとフランソワーズだった。

向こうも気づいたようだ。
走り寄ってきた。

「ジョー!!どうしたのよ!!何の連絡もなしに!!心配したのよ!!」

…いつものフランソワーズだ。

「何かあったの?携帯も通じないし…」

あ…。

電源を切っていたのを思い出した。
起動すると履歴がだ~っと埋まっていた。

「ごめん」

「何事もなくてよかったわ…さ、帰りましょ」
フランソワーズが背中を向けた。


「今、誰に会っていたか…わかる?」

フランソワーズが振り返る。

「え?」

「キミのよく知ってる人」

「わからないわ…」


「アズナブール先生だよ」


フランソワーズの顔が強張る。


「キミは彼の事をどう思っているかわからないけど、彼はキミとはまだ終わっていないらしい。」

フランソワーズはじっと俯いたままだった。

「何にせよ、きちんと話し合わないといけないと思う」

ジョーは一枚のメモをフランソワーズに渡した。

「明日…いや、今日だな…そのホテルのラウンジで待ってます…って」

それだけ言い終えると、フランソワーズに背を向け歩き出す。

フランソワーズはジョーの背中に訴える。

「待って!!ジョー!!私の話も聞いて!!」

「ごめん、今は何も聞きたくない…ひとりにしてくれる?」


その言葉に何も言えなくなるフランソワーズ。

一人家に向かう後ろ姿をただ見ているしか出来なかった。

アズナブール先生は、ジョーにどこまで話したの?
私が中途半端な態度を取っていたから…。

でも…何故ジョーと会ったの???

フランソワーズはジョーから渡されたメモを見る。
…きちんと…話し合おう…。

 



とあるホテルのラウンジ。

アズナブールはじっと待っていた。
あの青年がフランソワーズに言わないわけがない…。

アズナブールもジョーの「何か」を感じていた。

フランソワーズが突然いなくなった事にも何らかの関わりがあり、その上で幸せに出来ない…と言ったのだろうと。


色々考えていたその時、入り口に待ち焦がれた人が入ってきた。
あの頃と何ら変わらない。
彼女が再びパリの舞台で舞ってくれる事を少しだけ願っていた。

フランソワーズはアズナブールの姿を見つけると、真っ直ぐ歩いてきた。

向いに座ると、ウェイターが持ってきた水を飲む。

「何故?」

最初に出た言葉にアズナブールは首を傾げる。

「ジョーに…彼と話をしたの?」

どうやら怒っているようだ。

「時間がなかったから…、キミが返事をしてくれなかったから…ミセス小松に相談したら、彼に連絡を取ってくれたんだ。」

「私も曖昧な態度を取っていた事は謝るわ。いきなりで気が動転していたから…でも。はっきりと言わなければあなたも先に進めないものね…」

フランソワーズは真っ直ぐアズナブールを見た。
アズナブールは初めてその瞳を自分の知らないフランソワーズだと思い知らされた。

「今になってみるとわかることがあるの…あの頃の、あなたとお付き合いしていた頃の私は、あなたに恋していたんじゃなく、恋に恋していたの…。」

あまりにも若かった…。

「今、あなたには何の感情もないわ。バレエももう舞台に立とうとは思っていないの。…出来ない…というのが正しいかもしれないけれど…」

「でも、キミはバレエスクールに通っているじゃないか!!」

「あれはレッスンだけよ。もう本格的にやることもないわ」

「…彼がそうさせるのか?」

アズナブールはバレエをやらないことがどうしても納得いかなかった。

「違うわ…私が…彼を支えたいと思っているだけだから…。」

「幸せに出来ないと言っている男でもいいのか?!」
思わず声を荒げてしまった。

自分は彼女を幸せにする自信があるのに…彼女は幸せに出来ないと言っている男と一緒にいたいという。
納得出来ない。

「幸せって形は人それぞれ違うんじゃないかしら?彼は私を幸せに出来ない…と言ったかもしれないけれど、私は充分幸せよ。これ以上望んだらバチが当たるくらいよ。」

アズナブールは絶句する。

幸せ…って何なのだ…と。
自分が揃えた最高のカードを蹴散らしてもあの男の所に行ってしまうのか…。
もう自分は彼女の思い出の一つでしかないのか…。

その時、フランソワーズの携帯に着信があった。

「ごめんなさい」

席を離れて電話に出て話をしている。

「え?アフガニスタンで地雷を踏んだ!?」
彼女の口から似合わない地名と単語が聞こえた…ような気がした。

電話を切ると、戻ってきて「ごめんなさい、急用なの。アズナブール先生もバレエ頑張ってください。さよなら」
と、一方的に話すと、足早にラウンジを後にする。

…水しか飲んでないじゃないか…。
フラれたのに、何故か笑えた。

 

フランソワーズが研究所に駆け込んできた。

「何があったの!?」

ピュンマが出迎えた。

「アフガニスタンで武器を大量に流している者がいるという情報が入ってきたんだ。場所が場所だけにフランソワーズを呼んだ方がいいんじゃないの?とジョーに聞いたら、フランソワーズは今日大事な約束があるからダメだと…で、地雷踏んじゃった…って訳。」

「大丈夫なの?命は?」

「大丈夫、まだ意識は戻らないけど、じきに戻るだろうって博士が。」

「そう」

「瞬時に加速したみたいだけど、手を損傷して、落ち着くまで2日かかるらしい」

フランソワーズはジョーの元に行く。
胸が上下に動いていて、ホッとする。

ベッドの横の椅子に座る。

幸せ…。
何が幸せかなんて自分しかわからないんじゃないの?
ジョーも、アズナブール先生も自分のモノサシでしか見ていない。

私の幸せは私にしかわからないんだから…。

「…ん…」
ジョーの瞼が開いた。

「…!!フランソワーズ!!」
起きようとして腕を押さえる。

「…つぅ…」
自分の身に何が起こったのかわかっていないようだ。

「私がいなければダメなのよ」
フランソワーズの言葉の意味が解らず、ただ黙っているジョーに

「私がいたら、そんな地雷くらいすぐ見つけられたのに」

思い出したらしい…。

「そうか…地雷踏んだんだ」

「ドジね」

「フランソワーズ!!」
ジョーが声を荒げる。
「キミはちゃんとアズナブール先生に会ってきたのか?」

「あなたは私を幸せに出来ないらしいけれど、私の幸せは私にしかわからないはずですが?」

「…。」

「私は充分幸せです。あなたが側にいてくれるだけで幸せなのに…何故そんな事を言うの?」


「…ちゃんとした約束もしてあげれない…それにいつ何が起こるか…こんな風にうっかり地雷踏んじゃう事もある。とてもキミを幸せにしているとは思えない。」


「約束してほしいなんて言った事があった?」

フランソワーズはジョーの頬を両手で包む。

「私はあなたを愛している。あなたは私を愛している…それだけじゃ…ダメなの?」

動けないジョーに負担のないように、身を乗り出してキスをする。
唇を離すと、ジョーが腕を庇いながら反対を向き、シーツを頭から被った。

「どうしたの?」
いつもと違う反応にフランソワーズは心配になる。

シーツの中から「腕が痛い」と声が聞こえた。

「ごめんなさい、痛かった?」
フランソワーズが心配すると

「うそ」
ぶっきらぼうに言葉が帰ってきた。

「もう…照れないでよ…」


反対を向いたジョーを、シーツ毎抱き締める。

 

「あら?ジョーは?」

リビングでコーヒーを飲んでいるピュンマに、フランソワーズが問う。

「出掛けたよ、人に会うらしい」

「まだ怪我が治らないのに?」

「腕を吊って行ったよ。電車に乗って行ったようだし…」

「…そう」

フランソワーズは窓の外を見る。



羽田空港。

アズナブールは出国ゲートで待っていた。

離れていても解る。
日本人離れの容姿でありながら、ダッフルコートにマフラー、ジーンズとごく普通の若者の格好だった。
もう少し背が高かったら間違いなくモデルになれただろう。
手を吊っているのはこの前と違うが…。

フランソワーズが電話で口にした「アフガニスタンで地雷を踏んだ」が脳裏を過る。

「すみません、呼び出して」
アズナブールはジョーを出迎える。

「いえ、今日は休みだったんで」

「手…どうしたんですか?」

「…バイクで転びましてね」

「フランソワーズが…アフガニスタンで地雷を踏んだなんて口にしていましたんで…」

「まさか!僕はただのサラリーマンだ!」
ジョーが笑う。

「…フランソワーズに、あっさりフラれましたよ…」
アズナブールがふっと笑う。

「僕の事はもう過去のようです。」

「そうですか…」
それしか言いようがなかった。
フランソワーズが自分を選ぶ事はわかっていた。でもそれが本当にフランソワーズの為なのかと悩んだ。

何が幸せかなんて私が決める事。

フランソワーズの言葉を思い出す。

「もし、フランソワーズが本格的にバレエを再開したいと言ったら、いつでも頼ってください。ダンスのパートナーとしてなら…いいですよね?」

わざわざ自分を呼び出してこんな事を言うアズナブール。
フランソワーズの実力の凄さを思い知らされる。


「その時は…よろしくお願いします。」


「あなたは素敵な人だ、負けても悔いはないですよ」
アズナブールが微笑む。

「…アフガニスタンで地雷を踏むような男ですよ…ちっとも素敵じゃない」ジョーも微笑む。

アズナブールはしばらくキョトンとしていたが、大笑いする。

「実に面白い!!気持ち良く日本を去れそうだ。フランソワーズを泣かすような事があったら許しませんよ!!」

「わかりました」


しばらくアズナブールの後ろ姿を眺めていたジョーだったが、姿が見えなくなると、くるっと振り返り

「フランソワーズ、いるの解っているよ」と呟く。

「バレてたのね」
柱の影からフランソワーズが出てきた。

「ボクを誰だと思っているのさ」

「車で来たの。冴子さんが車どうするの…って連絡してきて…浅草から乗ってきちゃった。」

「うっそ!!大丈夫だったの!?」

「私を誰だと思っているの?」

2人顔を見合わせて笑う。

「折角だ、キミの運転でダイジンの店にでも寄るか」

「そうね、おごってくれる?」

「勿論」

2人は笑いながら空港を後にした。



~おしまい~

 

 

2016.1.6〜1.13

 

 

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