
穏やかな春の日に
1
満開の桜を見ても心が弾む事はなかった。
暖かくなり、人々は軽装で外に出始める。
明るい色の服がすれ違う。
色が…ない。
人々の笑い声も歪んで聞こえてくる。
ヘイワニナッテヨカッタ
アレハナンダタノダロウ
ナニカノデモンストレーション?
マ、イイジャン、コウシテナニモナカッタノダガラ
何もない?
何を言っているの?
あなた達の「平和」の為に犠牲になった人もいるのよ!
笑わないで
喜ばないで
この世界に…もう彼はいないのよ…。
フランソワーズは人混みを避け、空いていたベンチに腰を下ろす。
彼のいない世の中に生き続けても仕方ない。
そんな事を思うようになっていた。
桜から、人々から、平和から…
顔を覆う。
「どうしたの?気分でも悪いの?」
1人の男性がフランソワーズの座るベンチにすっと腰かけた。
「いいえ…何も」
「顔色悪いよ、家まで送ろうか?」
「本当に何もないですから!」
フランソワーズは強く言うとその場を立ち去った。
優しくしないで
彼を思い出してしまうから
話しかけないで
溢れる涙を気付かれぬよう、帽子を目深にかぶる。
2
あの日から時間が止まってしまった。
季節が進んでいる事にも気付かなかった。
用事で出かけた先で見た桜並木に、春が来たのだとようやく気づく。
あれから出かけるのが怖い。
みな無責任に平和を口にする。
誰が…この平和を守ったかも知らずに。
海岸を散歩した。
ここなら…波しか見えていないサーファーしかいない。
平和なんて口にする人もいない。
砂浜に腰を下ろす。
どこからか桜の花びらが飛んでくる。
空を見上げる。
もう、何度見上げた事だろう。
還っては来ないのに…
ここを離れる前に、彼の側にいた。
確かな物が欲しかった。
不安で…彼の側にいたかった。
まだ冬の星空が空いっぱいに散りばめられていた。
ジョーは砂浜に一人座り空を見ていた。
「そんなに見つめていたら、空に穴があいちゃうわよ」
不安を打ち消すようにわざと明るく言った。
ジョーは一瞬フランソワーズの方を向くとまた空を見上げる。
「あの空の向こうって…どうなっているんだろうね?」
子供みたいに無邪気な物言いに、明日から自分達に起こる事など全く感じさせなかった。
どんな戦いになるのか
どんな戦いにしても彼は最前線にいるのだから…。
フランソワーズはジョーの隣に腰掛ける。
「静かね…」
波の音が規則正しく聞こえるだけで、後は何も聞こえない。
この世の中に2人しかいないような。
「まだ寒いわね」
フランソワーズは持ってきたブランケットをジョーに渡す。
「キミのは?」
「私は今来たばかりだから」
その瞬間
ふわりとブランケット毎抱きしめられた。
「ジョー?」
抱きしめた腕を緩め、顔を上げる。
ジョーの顔が目の前に来て、フランソワーズは動揺する。
「ど…どうしたの?」
ジョーはフランソワーズの頬に手を添える。
吸い込まれそうな瞳の奥に、明日への恐怖が見えたようで、びくっとなる。
それを彼は誤解したようだ。
「ごめん…こんな時に…」
再びジョーはフランソワーズを抱きしめた。
「無事に帰ってこれたら…またここに2人座れたら…」
あの日を思うと涙が止まらなくなる。
あの時、ジョーの瞳の奥は、恐怖なんかじゃなかったのだと。
彼は必ず帰って来ると信じていた。
だから私に…キスをしなかった。
あの時
気持ちをきちんと伝えておけば…
でももう戻れない。
後悔だけが胸を締め付ける。
3
あの戦いの時に破壊されてしまった家は、同じ場所に再建される事になった。
博士は全員の部屋を用意していた。
ジョーとジェットの分も…だ。
新しい家が出来るまで故郷に帰ればいいのだが、皆ここを離れなかった。
家が出来るまでは、崖の下に隠してある潜水艦か、その崖から出入りする研究所で暮らしていた。
潜水艦も、研究所も安らげる場所ではなかった。
まだ戦いの延長のような気がして、その場に当たり前のようにいた「彼」がいない。
窓のない空間に耐えきれず、外に出る。
2人を失った事で、皆笑顔が消えていた。
基礎工事が終わったと思ったら、あっと言う間に枠組が出来上がっていた。
元気つけようと何度も間取りの相談をしてきた博士。
あの時考えながら組み換えていた間取りが立体となってくる。
新しい自分達の家。
そこにジョーとジェットの姿はない。
ずっと空いたままの部屋になる二階の角部屋の柱が見える。
海が見えるように、大きな窓を着けた。
海を見るのが大好きだったから…
そう言うと博士は設計図に「大きな窓」と書き加えていた。
「いいなぁ、こんな所に大きな家」
後ろから声がして、フランソワーズは驚いて振り返る。
「あ」
フランソワーズはその顔に見覚えがあった。
4
「あなたは…この前の?」
いつからいたのかわからなかったが、気がついたら隣にいた。
この前桜並木にいた時に心配して声をかけてくれた人。
「この前はありがとうございました。…この辺に…住んでいるのですか?」
「急に立ち去るんだもん、心配したよ。
まだ元気がないみたいだけど…ここ、キミん家?」
「えぇ、まぁ」
「いいなあ、こんな大きな家」
青年はまだ柱だけの建物を眺める。
フランソワーズの「この辺に住んでいるのか?」という質問には答えずに、青年は話続ける。
「ここからだと家の中から海が見えるよね。海を眺めながらくつろげるっていいね」
前の家は…海を見てくつろげたかしら?
色々な事が目まぐるしく起こって、夜眠っていてもいつ攻撃にあうのだろうと不安だった。
ようやく、ゆっくり休める様になった時には一緒にいてくれた人はいない。
黙り込んだフランソワーズを青年は見ていた。
5
フランソワーズが海を見に外に出ると、青年はどこからともなくやって来る。
名前も自分の素性も語る事なく、ただフランソワーズの話を聞いている。
不思議な人だと思ったが、元気のないフランソワーズを必死で励まそうとする姿に、外を出ると彼の姿を探すようになった。
そんなある日、ジョーと一緒に「いなくなった」ジェットが戻ってきた。
「あの時」と何にも変わらない姿で。
2人を失い明かりの消えていたみんなの心に小さな明かりが灯る。
ジェットはあの後の記憶は全くなく、気がついたら「家」の前に立っていたのだという。
フランソワーズは聞きたい、でも聞くのが怖い「彼の消息」をジェットに聞く。
「ジョーは?」
「わからない」
一緒にいた最後の状況をみんなに話していた。
それは耳を塞ぎたくなるような話だった。
助かる訳がない。
でもジェットがこうして何事もなく無事に帰って来たのだから…
今まで諦めていた気持ちに、少しの希望が芽生えていた。
6
フランソワーズはいつからか、海を見ていたらあの青年がやって来る、という事を期待するようになった。
「こんにちは」
またどこからともなくやってきた。
青年は、フランソワーズの隣に座る。
「今日もいい天気だね」
お互いの身の上話をする訳でもなく、それどころか名前すら言わない。
「あなたは…何者なの?」
フランソワーズが思わす口にする。
「うーん、何者なんだろう…実は自分でもわからないんだ」
「え?どういう事?」
「記憶がないんだ」
フランソワーズは青年を見ながら言葉を失う。
記憶が?
「記憶がって…何もかも?」
「うん、何も覚えていないんだ」
「あなたは今どこにいるの?」
「あっちの病院」
というと青年は指差した。
少し距離はあるが、小高い丘の上に建物がある。
ここから1番近い総合病院。
「抜け出して来たの?」
「海がね…海を見ていると落ち着くんだ。だから記憶も戻るかと思って…。
桜並木で会った時、最初に脱走したんだ。そろそろ帰らないと見つかる時間かな」
「何も…思い出せないの?」
「うん」
記憶を失った孤独。
今の自分の孤独の数倍辛いだろう。
自分が何者かわからないのだから。
フランソワーズは、思わず青年を抱きしめた。
「え?」
青年は戸惑ったが、フランソワーズが自分の為に涙を流している事に気づくと、抱きしめられたままこう言った。
「何だか懐かしいよ」
海岸道路に車が止まる。
助手席の窓が開く。
「フランソワーズ、何やってんだ?」
ジェットが海岸の光景に訝しむ。
「フランソワーズもショックなんだよ」
運転席のピュンマが、静かに言う。
「早くジョーが見つからないと…あいつは…」
ジェットはその光景を見ながら、窓を閉める。
7
家が完成すると、引越しなどで忙しく、海を見に行く事はなくなっていた。
新しく出来た2階の角部屋。
まだ家具も入ることがないその部屋は、生活感もなく、ただ物音が響くだけだった。
特注で作られた大きな窓にもカーテンなどかけることもなく、窓からはダイレクトに海が見える。
窓枠に何かがあるのをフランソワーズが見つける。
「桜?」
桜の花びらがまるで今落ちたように綺麗なピンク色をしてそこにあった。
ふと思い出し、海に向かう。
またどこからともなくやって来る気がした。
あの桜が満開の日に出会った記憶を失った彼の事。
いつも心の隅っこに引っかかっていた。
海が好きで
優しくって
頼りなくて…
違うんだと頭を振る。
彼とジョーをいつからか重ねていた自分に気づいたから、引越しの忙しさを理由に海に出なくなっていた。
この家が出来るのを、彼も楽しみにしていた。
家が出来ても来ないのだから、きっと記憶が戻ったんだろうと思った。
その夜海辺に人が集まっていた。
どうしたのかとジョーの部屋の大窓から見てみると、海辺が青く光っていた。
「あれは夜光虫だね」
ピュンマがフランソワーズの隣に並ぶ。
「夜光虫?」
「海洋性のプランクトン、大量発生するとああやって青く光るんだ。見に行ってみたら?」
フランソワーズは海辺に出てみた。
波打ち際に無数に青い光。
すっと誰かの手に触れた。
「あ、ごめんなさい」
見上げた先にはあの青年の笑顔。
「久しぶり、元気だった?」
「あなた…もう、記憶が戻ったのかと…」
「うん、お陰様で記憶が戻ったんだ。ありがとう。お礼を言いに来たら夜光虫騒ぎで、どうしようかな?と思っていたよ」
「そう…よかった。あなたは一体…」
「もう僕はここにいちゃいけないんだ。僕は存在しない人間だった」
「え?何?それって…」
「短い間だったけどありがとう」
青年はフランソワーズの手を握る。
そして手を離すとニコっと笑い、夜光虫を見ている人混みに紛れた。
「まって!まだ!」
フランソワーズは青年を追いかけたがすぐ見失ってしまった。
ジョーばかりか、その青年まで失ったような気がした。
「存在しない人間?そんなのウソよ」
フランソワーズは青年が握った手を広げた。
確かに存在した。
あの温もりは…嘘じゃない。
8
まだ日の出前だった。
昨晩の事で眠れなかったフランソワーズは、砂浜に座り海を眺めていた。
夜行虫騒ぎが収まり、いつものように穏やかな海と誰もいない静かな海辺。
青く光っていた昨晩の光景と、人の中にかき消された彼の後ろ姿。
夢を見ていたようで
でも夢ではなく
彼の存在がどれほど自分を元気つけていたのか今更知る。
「みんないなくなっちゃうな…」
ぽつんと独り言。
真っ暗だった空の色がうす青くなって来る。
水平線がだんだんとオレンジ色になる。
空のグラデーションをしばらく見つめていた。
「この時間ってマジックアワーって言うんだって」
「え?」
フランソワーズは声のした方に振り返る。
今までそこには誰の気配もなかった。
自分一人だったはずだ。
振り返った先にいた人物に、フランソワーズの思考がすべて止まった。
振り返った体制で瞬きもせずただ目の前の人を見る。
「ただいま」
目の前の人は笑顔でそう言った。
「・・・ジョー」
ようやく唇が動いた。
声を出すこともやっとだった。
「やっと帰ってこれた」
フランソワーズは立ち上がると、ジョーと向かい合う。
あれからどれ位経ったのだろう。
彼もジェット同様、あの時と何にも変わらない姿でそこにいた。
心の中にあった喪失感が溶け出していくような
何か暖かいものが流れ込むような
ジョーがフランソワーズを優しく抱きしめた。
「自分でも何が起こったのかわからない。気がついたらここにいたんだ」
フランソワーズは顔を上げる。
ジョーがニコッと笑う。
「マジックアワーだね、本当に」
フランソワーズはジョーに抱きしめられ、ジョーの温もりを感じていた。
そしてもうひとつの「奇跡」を確信していた。
9
「へぇ、凄い家が建ったんだね」
ジョーが新しい家を見上げる。
フランソワーズはジョーを新しい家に案内する。
この瞬間をみんなが待ちわびていた。
きっと戻って来ると信じていた。
だから誰もこの地を去ろうとしなかった。
ジェットとピュンマがジョーに抱きつき
「幽霊じゃないよな?」と頬をつねる。
ジョーは笑いながら「痛たたた」と頬を押さえる。
ジェットはジョーと同じ体験をしてきた。
2人は同じ事を言う。
気がついたらここにいた…と。
ジェットがジョーに耳打ちする
「お前がいない間、フランソワーズはいつも海に行っていて、誰もいないのにあたかも隣に誰かいるかのように話してるんだ…
気が違ったかと心配してたんだぜ」
「そうなんだ…」
ジョーはフランソワーズを目で探したが、姿がなかった。
みんながジョーを囲んで騒いでいる間、フランソワーズはイワンの部屋にいた。
イワンはあれから眠り続けていた。
博士の診察ではどこにも異常がないという。
「あなたなの?」
フランソワーズの問いかけに答える事もなく、普通の赤ん坊のように眠っている。
彼等を宇宙に飛ばした事でイワンを責めた。
何故自分も一緒に宇宙に送らなかったのかと…。
イワンがフランソワーズを送らなかったのは、まだ2人を助ける手段があったからで
他のみんなを安全な場所に飛ばした後、意識を失ったまま。
「もう目が覚めてもいいんじゃない?
寝ぼけ王子様」
イワンにかかった毛布を直す。
「手荒い歓迎だったよ」
ジョーがイワンの部屋に入ってきた。
「…眠ったままなの?」
「ええ…」
「キミは僕がいない時間が長かったのかもしれないけど…僕にはその長い時間がないんだ。あの時宇宙で意識を失い、
気がついたらあの砂浜に立っていたんだ。
キミがどんな思いで今までいたのかも…僕にはあっと言う間だったから…」
戸惑うジョーにフランソワーズは笑う。
「こうやって無事に戻ってきてくれただけで充分よ!あなたの部屋、まだ何もないけれど…見る?」
「用意していてくれたんだ」
「もちろんよ、きっと気に入ってくれるはずだから!」
フランソワーズがジョーの手を引く。
部屋のドアを開け、ジョーが感嘆の声を上げる。
「すごいや」
まるで目の前に海があるかのような大きな窓。
「博士があなたの為に特注で作ってくれたのよ」
フランソワーズは窓枠に腰掛ける。
ジョーは隣で大きなガラスに手をかけて外を見る。
「あなたのいない間、ある人と知り合ったの」
ん?とジョーはフランソワーズを見る。
「桜が満開になった並木道で具合が悪くなって、心配してくれた人。その後この海岸で再会したの」
ジョーは黙ってフランソワーズの話を聞く。
「彼は記憶喪失で、海が好きだという事しか知らなかった。
でも私が海岸を散歩しているとどこからともなく現れて、しばらくお話するの。
天気の話とかこの辺にある美味しいパン屋さんの話とか…ホントたわいのない話なの」
ジョーは再び海を見る。
「彼の存在は私を助けてくれた…そして昨日の夜、彼は記憶が戻ったと言ったわ…
そして彼は存在しない人間だった。と私に告げたわ…」
フランソワーズがジョーを見上げる。
ジョーはそれに気づき視線をフランソワーズに戻す。
「そしてその翌朝あなたが帰ってきた…あなたに抱きしめられた時わかったの。
あの時のあの人はあなただったんだって。
あなたの想いが実像となって現れたんだって。」
フランソワーズは俯く。
「でもあなたに何も記憶がないから…きっと私が作り出したあなたの姿だったのかもしれない…」
ジョーは右手をポケットに入れるとあるものを取り出し、フランソワーズの目の前に手を開いて見せた。
「え…?」
ジョーの手のひらには桜の花
まだ綺麗なままで…
「記憶はない、でも何かは起こっていたのかもしれないね」
強い意志
信じる気持ち
きっと帰って来る
それだけを日々願っていた。
フランソワーズの目から涙が流れる。
ジョーは身をかがむと、座っているフランソワーズにキスをした。
「約束」
にっこりと笑う。
フランソワーズも泣きながら笑う。
ジョーはフランソワーズの涙を指で優しく撫でる。
「これからも…ずっと約束」
ガラスに手をついてフランソワーズの動きを封じる。
フランソワーズはジョーの両腕に動きを塞がれたまま、目を閉じた。
〜おしまい〜
2017.4.23〜5.16