
からっぽな心と取り残された心
1
戦いは終わってはいないと思う。
あの場所から逃げてきて、日本にいるコズミ博士の元でしばらく世話になった。
またいつ来るかわからない戦いの為に研究所が必要だとギルモア博士はあっと言う間に居宅兼研究所を作ってしまった。
作ったと言っても研究施設だけで、居宅は古い洋館を手直ししただけだった。
研究施設が出来ると、他のメンバーは続々と国に帰って行った。
残ったのはイワンと日本で店を出すダイジンとフランソワーズ。
フランソワーズはまだ危険だからと国に帰らせてはもらえなかった。
彼女の場合家族がいる。
家族まで危険にさらすわけにはいかなかった。
ジョーは、東京で働くつもりでいたが、コズミ博士が手伝って欲しいとジョーを雇う事になった。
ギルモア博士からも要請があり、両研究施設を行ったり来たりの生活をしていた。
両博士にとっても自分たちとイワン、フランソワーズの身を守ってくれる「ボディガード」が欲しかったから、ジョーに東京に行ってもらっては困る事情があった。
フランソワーズも日本の生活に慣れ、殺風景な部屋の中を自分好みのインテリアに変えて行った。
日常を楽しんでいるフランソワーズを見ると、日本の生活に慣れたのだとジョーも安心していた。
先に帰っていてリビングにいたジョーに、買い物帰りのフランソワーズが何かを持って来た。
「今近くの幼稚園で七夕飾を飾っていたの、綺麗ですねと話しかけたら余っているからどうぞって貰ってきちゃった」
手には笹と折り紙
「あ、そうか、今日は七夕だ。せっかく貰ったんだから飾ろうか?」
ジョーはハサミとペンを持ってきた。
「ジョーは何かお願い事はあるの?」
フランソワーズの言葉に返事が出来なかった。
「…何もないな」
フランソワーズは短冊とペンをジョーの前に突きつける。
「何もない訳ないでしょう?」
その剣幕にジョーは思わず吹き出した。
「何故笑うの?」
「いや、キミ変わったなぁって」
「変わったのはあなたの方だと思いますが?」
「え〜?」
短冊を書く気がないジョーにかわまずフランソワーズは短冊に色々お願いを書いていた。
「欲張りだな、そんなに沢山叶う訳ないだろ?」
ジョーの言葉を聞いたフランソワーズの顔は、最初に出会った頃のように沈んでいた。
ジョーは言ってはいけない事を言ってしまったかと、しばらく黙り込む。
フランソワーズは黙ってテラスに向かう。
テラスの手摺に笹を巻きつけている。
ジョーが慌てて笹を固定する。
その時、ひとつだけフランス語で書いてある短冊を見つけた。
フランス語なんて読めなければよかった。
ジョーは心で思った。
2
ジョーは翌日、ギルモアコズミ両博士を呼んだ。
「フランソワーズを数日間国に帰してあげたいんだけれど…」
両博士共渋い顔をしている。
「それは危険じゃ」
「俺…いや、僕が同行します。彼女の行く先で監視していれば問題ないでしょ?」
ジョーは両博士を説得する。
彼女の身くらい自分1人で守れると思い提案した。
昨日見た短冊
表に飾られた日本語の短冊は全てカモフラージュ
目立たないように、他の短冊の奥にあるフランス語の短冊の願いが彼女の本当の気持ち。
笹を固定しようと屈まなければ見えなかったその文字。
パリに帰りたい
日本に慣れたなんて自分の勘違いだった。
自分だって…見知らぬ国に突然投げ出されたら、日本が恋しくなるだろう。
前に行ったパリの風景を思い出す。
あれは彼女の生活そのものだった。
ジョーは根気よく両博士に自分のプランを説明し、ようやく許可をもらう事が出来た。
びっくりさせようと何も話してはいなかった。
喜ぶ顔を想像しながら、パリに帰ろうと提案した。
彼女はこう言った。
「しばらく考えさせて」と。
3
七夕が過ぎても七夕飾りはテラスの手摺りに括ったままだった。
これをどうやって片付けるのかがわからなかった。
ジョーに聞けばわかるかもしれないけれど、あの日以来機嫌が悪い。
そう、すべて私のせい。
テラスに出ると満天の星。
流れ星が海に落ちる。
願いはいつも
「パリに帰りたい」
でも…
何故それが叶うという時に尻込みしてしまうんだろう。
何故素直に「ありがとう」と喜べなかったのだろう…
あれから…
何年経ったのかしら…
仲の良かった友達の顔を思い出す。
今、何をしているのかしら…。
会いたいのに…
会うのが怖い…
七夕飾りにそっと手を伸ばす。
本当に欲張りに沢山の願い事を書いている。
紐で括ってある部分に隠れるようにぶら下がる短冊を見る。
ジョーはこれを見たから?
4
その日は雨が降っていた。
テラスに括られた七夕飾りも雨で濡れていた。
フランソワーズは部屋の中から雨に濡れた七夕飾りを眺めていた。
願い事が全部雨に流されてしまいそうだった。
ジョーが雨の中テラスに出た。
七夕飾りを括っていた紐を解き、室内に入れる。
ビショビショの七夕飾りとビショビショのジョーを交互に見る。
「いらないでしょ?」
その口調は非難のものだった。
「願いを叶えたいと書いたはずだろ?叶いそうなのに何故逃げるんだ?」
「別に…逃げている訳ではないわ…ただ心の準備が出来ないというか…」
ジョーはフランソワーズを睨む。
「君には帰りを待っていてくれる人がいるじゃないか。君がいなくなった時に必死に探してくれる人がいるじゃないか!」
フランソワーズはハッとする。
ジョーがここまでしてパリに帰してくれる理由がわからなかった。
少しおせっかいじゃない?とも思っていた。
でも…
彼は兄に会っているから
兄の気持ちを感じてくれたから。
そして
彼には探してくれる人も、待っていてくれる人もいないから…。
濡れて短冊の文字も読めなくなった七夕飾りを、ジョーから受け取り、ゴミ袋に入れた。
自分からいらないでしょ?と言っていたくせに、フランソワーズの行動に少し驚いているジョーに、一言告げた。
「あなたの言葉に甘えてパリに帰るわ」
5
フランソワーズの決心が変わらないうちに、ジョーは両博士に報告をする。
「何も急がなくても」
「フランソワーズの気持ちが落ち着くまで待ってやればいい」
両博士はジョーに意見する。
「フランソワーズの気持ちを待っていたらいつまでたっても帰れない、このまま時間を延ばして行けば尚帰りづらくなるだけだ」
ジョーの荒療治を責める両博士だが、ジョーはとにかく早く帰らないとばかりだった。
ジョーが見つけた短冊はフランソワーズからの信号だったと信じていた。
今がその時期なのだと。
これを逃したら時間だけが過ぎていくだけだ。
滞在はジョーの仕事の都合で3日間。
ジャンの身の安全もあるから、ホテルに滞在する。
ジャンにはホテルに出向いてもらう。
他に会いたい人もいるだろう。
…他に会いたい人…
そうだよな、彼女は自分と違う。
友達も沢山いただろうし、恋人だって…
今までフランソワーズを帰してあげようとそればかり考えていたジョーだったが、具体的に帰る事を考え出したら急に不安に襲われた。
自分はあくまでもフランソワーズのボディガードでついていくだけだ。
そうなると彼女の行動に同行しなければならない。
離れた場所ではあるが、彼女の「過去」を盗み見するようなものではないか。
ジョーの気持ちが立ち止まる。
6
あれだけ毎日のように段取りや日程の相談をしていたジョーが、ぱたっと何も言わなくなった。
世間話はするが、肝心なパリ行きの話は全くしなくなる。
博士に聞けば計画は予定通りだと言うし…
いったいどうなっているのか。
夕飯時に2人きりになったので、それとなく話を向けてみる。
「ホテルはどの辺に取ってあるのかしら?」
兄を呼んだり、友達を呼ぶかもしれない。どの辺か位は聞いておいた方がいいかもしれない。
ジョーはひとこと「知らない」と言った。
「…ちょっと、それはないんじゃない?」
あまりにも自分勝手すぎはしないか。
「私が時間をくれと言っても聞いてくれず、パリに行く決心をしたとたんにその態度?いったい何を考えているの!」
頭にきてつい大きな声を出してしまった。
「…そうだね、自分勝手すぎるよね」
ジョーは俯いたまま話す。
「ごめん、君を振り回しているのはわかっているんだ。行くと決まったら急に不安になってさ」
「何故あなたが不安になるの?」
「君の過去を盗み見するような感じがして…」
「そう…あなたがそんな人だと思わなかったわ。別に私は過去を盗み見されるなんて何も思っていなかった。向こうの友達や家族に安全に会える為についてきてくれるんじゃないの?
それが盗み見とは私は思えないわ!」
ジョーは黙ってうつむいたまま。
「わかりました、違う人にボディガードについてきてもらうわ。ここまで計画してくれてありがとう!」
フランソワーズはそう言うと席を立つ。
ジョーの心の中でくすぶっている気持ちに、フランソワーズは全く気付いていなかった。
7
ジョーはテラスの椅子に腰を下ろす。
自分の代わりを探したが、みな都合が悪い。
ホテルも既に押さえてあり、時間がない。
自分の小ささに呆れていた。
フランソワーズの過去を盗み見する…というより、過去に恋人がいたのでは?と考え出してからおかしくなった。
ヤキモチ?
何故?
彼女の事はただの仲間ではないか…。
ごちゃごちゃ考えてていて、近くにフランソワーズがいる事に全く気付いていなかった。
ポン、と肩を叩かれて、飛び上がらんほどびっくりする。
思わず椅子から転げ落ちる。
「いやだ、何やっているの?」
「あ、ごめん、ちょっと考え事」
まさか『キミの事を考えてました』などとは言えもせず、照れ隠しに仏頂面で椅子を起こす。
「ごめんなさい」
フランソワーズが謝る。
ジョーは今の事を謝っているのかと勘違いする。
「俺もぼーっとしていたから…」
「違うの!この前の事よ!私も言い過ぎたわ…あなたは気を使ってくれていたのに…ごめんなさい」
「こっちこそ、自分勝手だったよ、まだ代わりの人も見つかっていないし…」
「いいの…あなたと一緒に行きたいの。
あなたは前に兄に会っているでしょ?
だから…」
「それだけ?」
「え?」
「…何もない」
ジョーは起こした椅子に腰を下ろすと、空を仰ぐように上を向く。
フランソワーズは「それだけ?」の意味を考えていた。
8
フランスは晴れていた。
ホテルの最寄駅に到着する。
リュックの紐を片方だけ担いで軽快に歩くジョーと、大きなスーツケースを引きずっているフランソワーズ。
「貸せよ」
フランソワーズのスーツケースをジョーが持つ。
「さてと」
ジーンズのポケットから地図を出す。
その地図をフランソワーズが覗き込む
「このホテルなら知っているわ」
スーツケースを持たなくて良くなり、身軽になったフランソワーズが駈け出す。
長い時間一緒にいると思っていたけれど、これから見る彼女は自分の知らない彼女だ。
長い時間一緒にいたのに、お互いの事は全くわかっていなかった。
そう考えられるようになってきたのは、気持ちが落ち着いてきたせいもあるのだろうけれど。
「ここね」
目の前のホテルを見て、ジョーはため息をつく
「全然違う」
「え?」
「…いや、何にもない」
前に一人でフランスに滞在した時のホテルとランクが違っている。
それだけ両博士もフランソワーズの事が心配でそして彼女を愛している事がわかる。
チェックインを済ますと、お互いの部屋に通された。
向かい合った部屋。
ジョーは部屋に入るとまたため息をつく
どうしてもこの前の部屋と比較してしまう。
「ま、いいけどね」
一人にしては広すぎる大きなベッドにダイブする。
明日は兄のジャンが訪ねてくる。
その後は友人等と約束をしているという。
場所はレストランだったり、カフェだったり様々だ。
そこまで教えなくてもいいのに、時間と場所まで教えてくれた。
「離れた場所にいるから、何かあったら連絡して欲しい」
最初から彼女の世界に踏み込み気はなかった。
自分の存在が彼女にとっては迷惑になると思っていた。
時間と場所を記載したメモを眺めながら思う。
「会いたい人…か…そんな人、俺にはいない」
日本にいた時は近くにいたと思っていたのに…
それは自分の勘違いなのかもしれない。
こんなに住む世界が違うのだから。
とにかく自分はフランスに滞在中、彼女に危険がないように見守っているしかない。
それが今回の同行の理由なのだから。
ジョーはフランソワーズからもらった予定のメモをベッドサイドに置き、目を閉じた。
9
ジョーは寝返りを打ち、ハッと気づく。
ベッドから飛び起きた。
「今…何時だ?」
時計を見る。
お昼を過ぎていた。
慌てて向かいの部屋をノックする。
留守のようだ。
血の気が引くような感覚。
脳波通信でフランソワーズを呼ぶ。
〝おはよう、やっと起きたのね〟
慌てているジョーとは対象的にのんびりとした返事が来る。
〝大丈夫よ、ホテルの近くを散歩していただけよ。貴方を朝食に誘おうと思ったら、気持ち良さそうに眠っているから起こしちゃいけないと思って…〟
〝眠っていたのが…わかったの?〟
〝あ…ごめんなさい…つい〟
透視した事を咎めるつもりはなかった。
ただ単純に寝ているのよくわかったね、位の気持ちだった。
また彼女に不快な思いをさせただろうかと反省する。
声だけで顔が見えないのも尚不安になった。
これから戻ると言うから、シャワーを浴び、昨日のままの服を着替えながら、昨日の事を思い出す。
確か夜はホテル近くのレストランで夕食を食べながら、明日の打ち合わせをした筈だ。
ジャンは仕事で夜しか来れないという事だったから、日中はこの周辺を案内してくれる筈だった。
起こしてくれたら良かったのに…
フランソワーズはホテルの近くにはいなかった。
ホテルの近くと言わなければジョーが心配すると思ったからつい嘘をついた。
ギリギリ脳波通信が通じたのは良かったと思いながら…。
ある建物の前にいた。
そっと裏口に回ると、室内の様子を見る。
中では子供たちがバレエのレッスンを受けていた。
しばらくその様子を見ていたが、時計を見てその場を離れた。
10
もっと感動の再会をするのかと思っていた。
セーヌ沿いにあるビストロ。
向かいあい、食事しているジャンとフランソワーズを見ながらジョーは拍子抜けしていた。
せっかくの兄妹の時間なんだから、離れた場所にいるというジョーに、兄はあなたに面識があるのだから、同席して欲しいと頼まれ、3人で夕食を食べている。
自分の存在が兄妹の自然なやりとりを妨害していると思うと何とも居心地が悪いのだが、ジャンは連れてきてくれてありがとうと感謝の言葉を真っ先に言っていたし、ジョーが同席する事も当たり前のように振る舞っていた。
別に言葉を発することなく、黙々と食べ終わり、レシートを持ち立ち上がる。
心配そうに見上げたフランソワーズに
「先に出てるから、何かあったらここに連絡して」と、頭を指差す。
振り返らずに会計を済ませ店を出た。
店から出た瞬間
ふーっ、と息を吐く。
ここのビストロがコース料理でなくて本当に良かったと思った。
セーヌ沿いの景色は昼とは違い静かだった。
昼と同じのはカップルの数。
セーヌを眺めながらあちこちで恋人達が大切な時間を共有している。
どこにいても邪魔になるかとキョロキョロしていたジョーだが、皆自分たちの世界に入っていて周りが見えていない事に気づくと、気にせずに博士に連絡を入れる。
無事お兄さんに再会できました。
明日は友達と会うようですよ。
元気そうです。
連れて来て良かった。
電話の向こうも安堵の声だった。
博士にとっても1番の気がかりだったのだろう。
連絡を終えると、フランソワーズからの連絡が来た。
もっとゆっくり話をしていたらいいのに。
せっかくの再会なのに。
居場所を教えると、2人がやってきた。
ジャンはジョーに頭を下げた。
「本当にありがとう、きみのおかげだ」
おかげ?
彼は自分の存在を何とも思っていないのか?
行方不明になった妹の手がかりを探しに日本に来た時の事を忘れてしまっているのだろうか…
そんな過去をもつ男と大切な妹が一緒にいる事を…
何とも思っていないのだろうか…
ジョーは無言で頭を下げたジャンを見ていた。
11
「ホテルまでセーヌ沿いを歩いて帰りましょう」
ジャンと別れ、2人もホテルへ戻る。
フランソワーズが前を歩く
ジョーはその後ろをポケットに手を入れゆっくり歩く。
「兄があなたの事気にしていたわ」
やっぱりな…
「そうだよな、こんな男と一緒じゃあお兄さんも心配だ」
ジョーの言葉にフランソワーズが立ち止まる。
急に立ち止まったのでジョーはフランソワーズにぶつかる。
「なんだよ!急に止まるなよ!」
振り返ったフランソワーズは怒っているようだった。
「兄はあなたの事を感謝していたわ、あなたが努力してくれたから私と再会出来たって…なのに…何故そんな事を言うの?」
「だって気にしていたって」
「どうして悪い風に取るのかしら?」
「今までよく言ってくれる人がいなかったからじゃない?」
まるで他人事のようにジョーが言う。
「私も…あなたには感謝しかないわ。私1人の力ではとてもここに戻って来れなかった。あなたが背中を押してくれなければ」
ジョーは無言でフランソワーズを越え歩き出す。
フランソワーズは慌てて後ろに続く。
「どうして素直に考えられないのかしら?」
前を歩くジョーは振り返る事はない。
「どう言ったらあなたは解ってくれるのかしら?」
フランソワーズの言葉はジョーの背中で虚しく消える。
12
ホテルの部屋でシャワーを浴び、パウダールームで髪を乾かす。
鏡に映る姿を見る。
「これは本当の私なのかしら…」
明日、昔の友達に会う。
あの頃と同じなのだろうか?
何処か変わっているのでは?
ツクリモノだとバレないのだろうか?
髪を梳かしてベッドルームに戻る。
ここに戻ってくるまでのジョーの様子を思い出す。
前よりは随分と心を開いてくれているように思えていた。
人の事はおせっかいすぎるほど口を出すのに、自分の事を触れられるのを嫌う。
近づいたと思っていた距離が一瞬で遠く感じた。
思わず廊下を挟んだ向こうの部屋を透視する。
窓の外をぼんやり眺めている姿が見えた。
そこに表情はない。
フランソワーズは思わず部屋を出た。
廊下の向こうの部屋のドアをノックしようとして手を止めた。
「眠っていたのが解ったの?」
朝の彼の言葉を思い出す。
1人でいる時に覗かれているとわかれば不愉快だろう。
でも…
「あなたは独りじゃない」
その一言が言いたいのに
どうしたら彼は…
私に心を開いてくれるのだろう…
フランソワーズはジョーの部屋の扉に背を向けて、自分の部屋のドアを開ける。
13
翌朝、朝食に誘うか躊躇っているフランソワーズの部屋をノックしたジョー。
「おはよう、ご飯食べに行こうか?」
昨日の夜の様子が嘘のように、普通に接している。
ホテルの近くにあるカフェでクロワッサンを食べる。
フランソワーズはカフェ・オ・レ
ジョーはエスプレッソの倍量
ギャルソンが運んできたエスプレッソを
口につけると、早速今日の段取りを話し始める。
事務的な態度に少しムッとするフランソワーズは、ギャルソンを呼び、何やらオーダーをする。
しばらくすると見るからに甘そうなタルトが運ばれてきた。
「朝から甘いの?」
ジョーがあからさまに嫌な顔をする。
「あら、見た目より甘くないわよ、一口どうぞ」
フランソワーズはタルトを一口分切るとフォークに刺し、ジョーの口元に持って行く。
口元に突きつけられたら口を開けるしかなく、あーんという体制で顔から火が出そうになる。
他の客はそんな2人に構う暇もないし、お国柄かそんな風景は普通だから誰も見ていないのだが、ジョーには店内の客全員に見られているのではないかと思い目を閉じる。
フランソワーズはそんなジョーを見てクスッと笑う。
からかうつもりはないが、時々困らせたくなる。
その時の彼の対応が楽しくもあった。
「…明日はどうするの?」
口に入れたタルトを飲み込むと、ジョーはフランソワーズに聞く。
「明日は誰にも会う予定はないわ、せっかくパリに来たんだからあなたを案内するわ」
ジョーは瞬きもせずフランソワーズを見ている。
「え?何か変な事を言った?」
「いや…もういいの?」
ジョーはあくまでもフランソワーズのボディーガードに徹する気らしい。
「ええ、あなたに見せたい景色が沢山あるの」
にっこりと笑うフランソワーズに、ジョーは固まっていた。
用事がなければ来る場所ではないと思っていた。
観光なんてありえないと思っていた。
案内…それって…
やっぱりデートだよね。
フランソワーズが自分に好意を持ってくれているのは解っていた。
でも、仲間だから、そう、お国柄だ。
数々のスキンシップもお国柄だからなんだ。
彼女はただの仲間だ。
ジョーの心に流れ込んでいた温かい物が、急に冷えたような気がした。
14
バレエ学校時代の友達とのランチは、人通りの多いカフェだった。
ジョーが監視しやすいようにオープンテラスに出ていた。
斜め向いにあるカフェのオープンテラスからジョーが監視する。
フランソワーズを入れて6人。
日本で言う「女子会」
フランソワーズも他の女の子達と同様、パリの街に溶け込んでいた。
これが彼女の「普通」
自分は何処にいても「異端」だから、この街に溶け込む事もない。
自分の国でさえ溶け込めない。
目の前の景色に少し嫉妬していた時、1人の男性がフランソワーズ達のテーブルに現れた。
ギャルソン?
いや、違う。
シャツとジーンズのラフな格好の若者だ。
彼の姿を見つけた時、フランソワーズの顔が曇った。
奴は…誰なんだ?
間もなく男性は立ち去り、再び6人で話し出す。
内容は聞き取れないが、男性がいた時間以外は彼女の表情は楽しそうに見えた。
女の集団は長話だ。
結局解散したのは夜の約束に近い時間だった。
あまり話をせず、次のレストランに移る。
1人でレストランに入るのは不自然だから、何かあったら連絡をするようにと、近くの公園で待つ。
空を見上げると雲行きが怪しい。
「ひと雨来るかな…」
雨が降りそうだったから、レストランの近くのカフェに行く事にした。
レストランの前を通りかかると、昼とは少し違い、男性が数人混ざっていた。
その中に昼間カフェでフランソワーズ達のテーブルに顔を出した男性がいた。
フランソワーズの向いに座っている。
フランソワーズは俯いていた。
昼間の楽しそうな雰囲気は何処にもなかった。
同席している女性達も昼間とは違いどこか自信に満ち溢れたような堂々とした感じだった。
過去の話はお互いあまりしたがらなかったから、よくわからないが、フランソワーズはバレエでは優秀だったと他の仲間から聞いた事があった。
昼間の女の子達がバレエ学校時代の友人なら、この集まりはもっと上のプロの集まりなのかもしれない。
…推測でしかないが。
雨が当たってきたからカフェに入る。
夜だからアルコールも提供していた。
ビールやシャンパンで軽く陽気になっている人を掻き分け窓際に座る。
雨は本降りになってきた。
「傘がないのに…困ったな…」
しばらくすると目の前をびしょ濡れのフランソワーズが歩いている
「?!」
ジョーは慌ててカフェを出た。
15
「どうしたんだ?」
ジョーがびしょ濡れのフランソワーズに駆け寄る。
フランソワーズはジョーを見上げた。
びしょ濡れの髪が顔に貼り付いていた。
目からは涙。
「何かあったの?」
心配するジョーはフランソワーズの肩に手を置いた。
その手を振り切る。
「放っておいて!」
彼女が何を言っているのかわからなかった。
「どうして?」
「いいからっ!」
ジョーは大きくため息をつくと、少し乱暴にフランソワーズの手を引く。
「何があったか知らないが、びしょ濡れのキミを放っておける訳ないだろう?風邪でも引かれたら博士達に怒られる」
フランソワーズはジョーの言葉を聞いて、引かれていた手を振りほどく。
「あなたは博士達の為に私をここに連れてきたの?もういいわ、放っておいて!
」
ジョーはとっさにフランソワーズを抱きしめる。
「とにかく…落ちつけよ…何があったかはその後だ」
ジョーの行動に最初はハッとなったフランソワーズだったが、ジョーか声のトーンを落としてきたので、抵抗することなくジョーの胸に顎を当てる。
ホテルに戻ると、ドアマンが慌てて2人にタオルを渡す。
「急な雨でしたからね」
びしょ濡れの2人を気遣う。
「メルシー」
黙って俯くフランソワーズに変わり、ジョーがドアマンに会釈する。
エレベーターに入ると、ジョーはフランソワーズの頭にタオルをかける。
「とりあえずシャワーを浴びて着替えよう。落ち着いたら話を聞くから、後で俺の部屋に来て」
2人は向かい合わせにドアを閉めた。
16
シャワーを浴び、Tシャツとジャージに着替える。
タオルを頭にかけたまま、冷蔵庫からミネラルウォーターを出しそのまま飲み干す。
レストランでの彼女の表情を思い出す。
着飾った女達の中にいたあの男。
昼に見た男だった。
彼女の急変ぶりはあの男に関係があるのか?
昔の…
自分の知らない彼女の過去。
胸の中がモヤっとした。
雨の中興奮する彼女を落ち着かせようととっさに抱きしめた。
抱きしめた彼女の身体は細かった。
守らなければ壊れてしまうのではないかと思った。
コンコンとノックの音がする。
オートロックを解除する。
シャワーを浴び着替えたフランソワーズがそこにいた。
きっちりと髪を乾かし、服も部屋着ではない。
ジョーはフランソワーズのそんな所に距離を感じていた。
「どうぞ」
フランソワーズは部屋に入るとジョーの前に立つ
「ごめんなさい、色々あって混乱してしまって…もう大丈夫だから」
「座って、ちょっと話をしようか」
ジョーがフランソワーズをソファーに座るよう促す。
フランソワーズは素直に座る。
「友達と何かあったの?」
ジョーの問いにしばらくうつむいていたフランソワーズだったが、急に顔を上げる。
「わかっていた事なのに…もうここに私の居場所はない事位」
「キミが『ここ』を離れてからの事?」
「何もかも約束されていたのに…自分しか出来ない事だと思っていたのに…それは私の自惚れだったの」
フランソワーズは再びうつむき拳をぎゅっと握りしめる。
「私のいた『場所』には全部違う人が入っていたわ。」
握りしめた拳が震えていた。
「私はもうここに用は…ないの」
うつむいた顔から涙が落ちる。
ジョーはフランソワーズの座るソファーの前に跪いた。
フランソワーズを見上げる形になったジョーは、手を伸ばしソファーに座るフランソワーズを抱きしめる。
「泣きたい時は思いっきり泣くといいよ」
ジョーの言葉をきっかけに、フランソワーズは大声で泣いた。
ここで重ねてきた努力
ここで重ねてきた全ての事が
全てなくなっていた。
わかってはいた事だが、現実を見せられたフランソワーズには今が辛い時なのかもしれない。
まだ誰かが自分を必要としてくれていると思っていたのだろう。
ジョーは黙ってフランソワーズが泣き止むまで付き合った。
泣き疲れて眠ってしまったフランソワーズをベッドに寝せると、自分はソファーに横になった。
17
自分だけ過去に取り残されていた。
周りは自分のいない時間を進んでいた。
そんな事わかっていたのに…
何を期待していたのだろう…
フランソワーズは目を覚ます。
昨日の夜の事を思い出す。
「あ!」
ヘッドから飛び起きる。
部屋にあるソファーでジョーは眠っていた。
「いやだ…私」
ヘッドから起き、ソファーに近づく。
身体を丸めて眠っているジョーに起こさないようにブランケットを掛ける。
ソファーの脇で膝をつき、眠っているジョーを眺める。
昨日雨の中抱きしめられた時、尖っていた心が溶けていくような感じがした。
ここで泣いた時もただ黙って気が済むまで泣かせてくれた。
彼はとても暖かく、優しかった。
「ありがとう、もう大丈夫だから」
フランソワーズはジョーの顔に近づいた。
そっとキスをすると部屋を出た。
パタン、とドアの音がした。
ジョーは目を開ける。
「今…何が?」
信じられないと言った顔で唇を押さえた。
「お国柄…は口じゃないよな…」
フランソワーズの気持ちが読めないまま、ジョーはその場に呆然としていた。
18
パリに滞在するのも今日まで。
今夜のフライトで日本に帰る。
フランソワーズは昨日の事も今朝ジョーが寝ている間の事も何事もなかったかのように、いつもの笑顔でジョーを案内していた。
3日間何も不穏な事もなく、彼女1人帰してあげる事も近いうちに叶うのでは?そんな事をジョーは考えていた。
今は全て失ってしまったかもしれないけれど、また少しづつ得ていけばいい。
そんな事を考えていたジョーに、フランソワーズが耳打ちする。
「ジョー、誰かにつけられているわ」
最後の最後に現れたのか?
今まで監視されていたのか?
やはり…まだ無理なのか?
ジョーはフランソワーズの指示した方向に回り、つけていたと思われる人物の背後に着いた。
「あ、ジョー!待って!」
ジョーがその人物を押さえつけようとした時、フランソワーズが叫ぶ。
「何?」
「ごめんなさい、知り合いだわ」
フランソワーズはつけてきていた人物の前に立つ。
ジョーは警戒しながらもフランソワーズの後ろに移動する。
その時つけてきていた人物の顔を見る。
「…昨日の…」
その男は昨日の昼、フランソワーズのテーブルに来て、夜はレストランで一緒だった男。
「ランディ!どうしたの?」
フランソワーズはその男をランディと呼んだ。
「ちょっと話…出来るかな?」
ランディはジョーをちらりと見た。
「知り合い?」ジョーはフランソワーズに聞く。
「…ええ」
「じゃあちょっと向こう行っているよ。」
平然を装いその場を去ろうとするジョーに
「…ここに…いてくれる?」とフランソワーズが言う。
その声が助けを求めているようだったので、ジョーは少し下がって2人から距離を取った。
19
ランディは少し困った表情を浮かべたが、ジョーの存在を無視するようにフランソワーズの両手を握る。
ジョーはとても居心地が悪いまま、でもランディがこれからフランソワーズに何を言うのか気になり、少し離れていながらも2人の様子を伺っていた。
フランソワーズはランディに両手を握ぎられ動揺している様子だった。
「やっぱり無理だよ!」
ランディはフランソワーズの瞳をじっと見つめる。
「キミを忘れる事なんて出来ない!」
ビンゴ…
ジョーは思わず心の中で呟いた。
女子会の会場に入ってきた時から、薄々感じてはいた。
精悍な顔立ちと、何より育ちの良さを感じる青年にジョーは嫉妬した。
小さく舌打ちしたのが、フランソワーズに聞こえたらしくこっちを見ていた。
…悪かったですね、そいつと違って育ちが悪いもので…
思わず脳波通信で送りそうになったがやめておいた。
「キミが突然いなくなったのはショックだった。でもキミはこうして戻ってきてくれたじゃないか!なのに忘れてくれと言われても…忘れられる訳ないじゃないか!」
フランソワーズはランディの手をそっと外す。
「あなたにはもう別のパートナーがいるはずよ、バレエも…プライベートも」
そう語るフランソワーズは寂しそうな顔をしていた。
フランソワーズは突然ジョーの元へ行き、ジョーの腕を取り、自分を腕を絡めた。
「な!」
突然自分の元に来たので慌てているジョーに構うことなく。
「…そういうこと…なのか?」
ランディはジョーを睨む。
「そうなの、だからもう忘れて」
フランソワーズが強く言う。
ランディはもう一度ジョーを睨むと、その場から立ち去った。
「…いいのか?」
フランソワーズの腕を解きながらジョーが聞く。
「いいのよ…もうここに私の居場所はないから」
この数日何も危険な事はなかった。
やり直そうと思えばやり直せるはず。
どうして?
背を向け歩くフランソワーズに何も言えないジョーだった。
20
フランソワーズはテラスに出て、夜空を仰ぐ。
日本に戻ってから数日が経った。
ジョーは帰った途端留守中の仕事に追われ、会話どころか顔も見ていない。
きちんとお礼を言いたいのに…。
あの七夕の日を思い出す。
あれからそんなに日にちは経っていないけれど、自分の心の中はあの日とはかなり違っていた。
帰った所で自分の居場所はなくなっている現実を見せられるだけなのは解っていた。
でも現実を見る事が出来たからこそ、先に進めるような気がしている。
昔描いていた未来ではないかもしれないけれど、新しい…何かを探せるような気がしていた。
「こんな所にいたんだ」
ジョーが帰宅した。
フランソワーズを探していたようだ。
「ただいま」
ジョーは笑顔でフランソワーズの元に来た。
「おかえりなさい」
フランソワーズは笑顔を返すと、再び星を見る。
「星が綺麗よ」
「ほんとだ、すごいや」
「ジョー…」
「ん?」
「今回は本当にありがとう。あなたのお陰で色々な事を消化できたわ。今度は笑顔で故郷に帰れそうよ」
「いや、別にただボディーガードで着いて行っただけだし…でも次からは1人で帰れるといいね」
ジョーは感謝の言葉を素直に受け取れず、照れ隠しに頭を掻きながら言う。
フランソワーズは言いにくそうに
「…また今度帰るときも一緒に行ってくれる?」と小さい声で話す。
「え?まだ心配?」
自分が付き添うのは安全の為と思っているジョーに、フランソワーズは少し残念そうに
「ジョーに見せたい景色が沢山あるの…今回は何処にも行けなかったから…」
「…え?」
つまりは観光って事?
ジョーは並んで星を見ていたフランソワーズを見る。
少し背の低いフランソワーズがジョーを見上げている。
ジョーは思わずフランソワーズの手を握る。
フランソワーズはビクッとする。
「あ、ごめん…何というか…そのぉ」
ジョーがゴニョゴニョ言っていると、フランソワーズは黙ってジョーの胸の中に飛び込む
「…フランソワーズ?」
ジョーは動揺しながらもフランソワーズの背中に手を伸ばす。
異国のハグってやつ?
これはどう言う意味…
ジョーが頭の中で考えていると、ジョーの胸の中にいたフランソワーズが顔を上げた。
その吸い込まれそうに澄んだ瞳に金縛りにあったように動けなくなる。
フランソワーズが唇をわずかに開いた。
「イワン…」
「え?」
「イワンがミルク頂戴って…」
あ…
ジョーが抱きしめていた腕をすり抜け、キッチンへと急ぐフランソワーズの後ろ姿を眺めながら、色々な意味のため息を漏らすジョーだった。
〜おしまい〜
2016.7.7〜8.26