
雲の上で
1
ある日突然、ジョーは博士からフランスに行って欲しいと頼まれた。
「キミじゃなければダメなんじゃ」
ジョーは溜息をつく
「彼女は今…ようやく主役になれたんですよ?それを…連れて来いなんて…」
主役に抜擢されたと連絡があったばかりだった。
「…すまない」
ジョーは黙って博士の部屋を出た。
テラスの床に寝そべり星を眺めた。
みんなそれぞれの生活に戻っていた。
みんな自分のやりたい事をみつけ、人間らしい生活をしていた。
簡単に「事件だから」と連れ戻すなんて…。
フランソワーズの電話の声が耳に蘇る。
嬉しそうに、主役になれたのだと。
ジョーは両手を頭の後ろに組む。
自分達は何故戦わなければならないのか。
何の為に?
ここで自分の夢を熱く語っていたフランソワーズを思い出す。
彼女の夢が叶うといいなとその時素直に思った。
夢を語っている時の彼女の顔はとても楽しそうだったから。
フランソワーズに会いたい気持ちはあるけれど、こんな形では…。
ようやく掴んだ夢なのに…。
ジョーは目を閉じた。
2
最高の舞台にしたかった。
やっと手に入れた主役。
休む間もなく練習した。
こんな日が来るなんて思わなかった。
もう…舞台には立てないと思っていた。
踊っている時は集中している。
あの時、座席の端にあなたを見つけるまでは…。
体制を崩しそうになる。
あなたが…ただ舞台を観に来ている訳ではない事位分かっている。
また…なのね。
とにかく今は彼を忘れて、最後まで踊りきらなければならない。
何とか舞台を終える。
沢山の花束を抱え、楽屋に戻る。
彼の姿はあれ以来見当たらない。
本当に舞台を観に来ただけなの?
私が彼を見間違う筈はない。
だって…。
メイクを落とし、着替えを済ます。
明日も公演があるから、千秋楽までは打ち上げもお預けだ。
みな明日に備え帰宅する。
大きなカバンを抱え、劇場の裏口から外に出る。
時々ファンが出待ちしている事もあるが、この劇場の裏口は目立たない所にあり、人目につかなかった。
そっと抜け出すように建物から外に出る。
無意識に彼を探している自分がいた。
離れてみてよく分かった彼への気持ち。
でも彼に会える時はいつも…
せっかく掴んだチャンスだ。
せめてこの公演が終わるまではそっとしておいて欲しい。
大きなカバンを担ぎ直し、2、3歩進みまた立ち止まる。
俯き、深呼吸を1回すると
振り返り
「ジョー、そこにいるのはわかってるのよ」
と呟いた。
3
2人は近くのビストロに入る。
向かい合い、席に着く。
「久しぶり」
ジョーの笑顔に嘘はない。
「来てくれるなら連絡くれれば…レストランでも予約出来たのに」
「いいよ、これ位賑やかな方が」
ジョーは流暢なフランス語でオーダーをする。
シャンパンで乾杯する。
「キミの舞台の成功を祝って」
「まだ終わってないわ」
「素晴らしい舞台だったよ」
「…ありがとう」
いつか彼に観てもらいたかった。
思いがけず叶った夢。
でも…
「また…集まらなければならないのね…」
フランソワーズの言葉に、ジョーの手が止まる。
「…」
「…分かっているのよ」
俯いていたジョーがフランソワーズを見る。
「…本当は、こんな用事でキミに会いたくなかった。でも…時間がないんだ」
「いつ?」
「明日の便で発つ」
フランソワーズは大きな溜息をつく。
「まだ舞台は始まったばかりよ。
何故?何故いつもうまくいきそうになると…こうなの?」
「声だけはかけておこうと思っただけなんだ。ごめん、今大切な時期なのにこんな事を言って」
目の前の美味しいお料理も
目の前に座っている彼も
一瞬で色を失った。
ジョーはカバンを探ると、封筒をフランソワーズの前に差し出した。
「明日の便のチケット。一応渡しておくよ。」
ジョーは席を立つと、オーダーシートを手に取った。
「じゃあ、行くよ、ごめん…キミを苦しめる事しかできない…」
レジで会計を済ませ出て行った。
振り返る事もなく。
1人残されたフランソワーズはその場で顔を覆い、少しだけ泣いた。
4
ホテルの窓からエッフェル塔が霞んで見えた。
部屋に戻ると電気も点けずにベッドに横になった。
思った通りの反応だった。
何よりショックだったのは、戦いの為に迎えに来た。と、すぐに悟ったフランソワーズの言葉だった。
もう少し近況を話したかった。
今日の舞台の感想だって。
舞台で踊るフランソワーズはとても美しかった。
それなのに、戦いの為に連れ戻しに来た自分に…
腹がたった。
誰も彼女の明るい未来を邪魔する権利はないはずだ。
明日、1人で帰ろう。
イワンが起きてさえいれば、索敵は補えるだろう。
もう…
彼女を不幸にはしたくない。
自分の存在が彼女にとっての不幸ならば…
もう会わない方がいいのかもしれない。
ギュッと胸が痛んだ。
枕に顔を埋めた。
彼女の笑顔が…遠くなる。
アパートに戻ったフランソワーズ。
ジョーからもらった封筒をテーブルに置き、ぼんやりしていた。
封筒からチケットを出す。
日本迄の片道切符
この先にあるのは
硝煙の匂い。
一瞬よぎった彼の笑顔。
久しぶりに会えたのに…
あんなに会いたいと思っていたのに。
そっとチケットを封筒に戻す。
その隣には今回の舞台の為に作られたパンフレットが上がっている。
手に取ってパラパラとページを捲る。
主役の自分が写真入りで大きく載っている。
昨日までの高揚した気持ち
この公演の為にどれだけ練習したか。
成功させなければならない…。
フランソワーズは封筒をダストボックスに捨てた。
5
空港の待合室は、色々な国籍の人達で溢れていた。
1人で帰るつもりなのに、ヒールの音が近づくと、ふと顔を上げてしまう。
自分は何を望んでいるのだろう。
彼女に幸せになってもらいたいと願っているのに、もう一方では一緒にいてもらいたい…なんて考えている。
自分と一緒にいてもいい事なんて何もないのに…。
搭乗が始まった。
誰かが走ってきた。
ふと振り返るが、フランソワーズではなかった。
期待した自分に笑えてしまう。
腕時計を見る。
午前の公演が始まった時間だ。
昨日観た美しい彼女の姿を思い出す。
これで…いいんだ。
座席に着く。
飛行機の小さな窓を眺める。
さよなら…フランソワーズ
「隣…いいかしら?」
フランス語で話しかけられ、顔を上げる。
「…フランソワーズ…」
「私、窓際がいいの、替わって」
「あ、うん」
ジョーは窓際をフランソワーズに譲る。
「キミ…公演は…」
「何も聞かないで」
フランソワーズは窓の外をただ見ていた。
ジョーは黙って頷いた。
飛行機が離陸した。
高度を上げていくと、フランスの街並みは雲に隠された。
ふとフランソワーズを見ると、窓の外を眺める目から涙が溢れていた。
ジョーは左手をフランソワーズの背中に回すと、ぐっと引き寄せ肩を抱く。
フランソワーズが驚き、ジョーを見る。
ジョーは何も言わず、通路を眺めている。
フランソワーズはジョーの左肩にそっと顔を埋めた。
その肩は震えていた。
〜END〜
2015.9.10~9.14