
one season
~ジョーがレーサーだったら~
1
ジョーがF1に復帰するという話を聞いた時、よかったという気持ちだけだった。
彼の夢だから。
彼は「かつて世話になっていたチームからワンシーズンだけと頼まれた」と言っていた。
彼がレーサーとして活躍していた頃まだ一緒にいなかったから、そのワンシーズンがどの様なものなのかも理解していなかった。
私はただ、彼の夢を応援しようと笑って送り出した。
開幕戦のテレビ放送を、アルベルトとジェットと一緒に観ていた。
「あれだな」ジェットは呆れ顔で指を指す。
アルベルトも苦笑いしている。
ジョーの隣に寄り添うように黒髪の美人が立っている。
「台湾の不動産王の娘、カレンだ」
「確か…モデルだよな」
「ジョーを復帰させたらスポンサーになるって条件だったんだろ?」
「この世界は膨大な資金がないと動けないからな、いっくら昔世話になったチームと言ってもな…」
「お嬢様のきまぐれに振り回されてるんじゃ、ジョーも気の毒だな」
フランソワーズは2人の会話を話しに入る事なく、ただ黙って聞いていた。
2
開幕戦を見た時に、ジョーが復帰した本当の意味がわかった。
その後何度かのレースがあったけれど、誰もいない時は観る気にもならなかった。
レースが終わるといつも駆け寄ってくるスポンサーの娘。
モデルをやっているだけあって、スタイルも良く、長い黒髪がとても似合っていた。
ジョーがかつて所属していたチームが、資金難の為存続の危機になっていた。
大口のスポンサーが付かなければ、今シーズンは走れないという話だった。
名乗りを上げたスポンサーの条件はジョーの復帰。
おそらく…娘のワガママ…。
毎週世界を飛び回るジョーは忙しいのか連絡も来なくなる。
レースが終わる度、成績の良いジョーは何かと騒がれるようになった。
常に隣にいるカレンとの話題も増えていた。
テレビの向こうの彼はとても遠かった。
距離よりも心が遠かった。
ここで暮らしていた何気ない日常を思い出す。
一緒にご飯を食べて、一緒に海岸を散歩した。
あの時沢山話をしたのに、何も思い出せない。
いつも彼は笑っていた。
誰かが録画していたレースのハイライトを再生してみた。
シャンパンファイトをしている彼の姿。
いつも近くで笑っていた彼とは…
違った。
3
シーズンも半分が過ぎ、夏休みになった。
1ヶ月近い休暇を、レーサーや関係者は有効に使っていた。
日本に帰れるかもしれないという連絡があったのは、休暇が始まってすぐだった。
「帰ってきても私はいないわ、フランスに帰るから」
「そうか…3日間位なら戻れそうだったんだけど…あ、そうだ。じゃあボクがフランス行こうか?」
「ごめんなさい、その日はもう約束があって…」
通話を終え、溜め息をついた。
「あれ?フランソワーズ、フランスに帰るんだっけ?」
盗み聞きするつもりはなかったが、聞いていない予定だったから、ピュンマが問いかける。
フランソワーズは首を振る
「帰らないわ」
「え?じゃあ何でジョーに嘘ついたの?」
「どうして…なんだろう…」
質問の答えになっていないが、勘のいいピュンマには解っていた。
フランソワーズはバルコニーに出て、空を仰ぐ。
照りつける太陽に目を細める。
夏の夜はバルコニーで、星を見ながらずっと一緒にいた。
時には砂浜に降りて並んで歩いた。
素足になり、波がかかる所まで行ったりした。
じゃれあって2人びしょ濡れになったりもした。
他愛ない時間。
何もない平和。
今はひとり海を眺めていた。
その瞳には涙が流れていた。
4
フランソワーズに会えないからか、ジョーは日本に戻らなかった。
カレンの父に招待され、チームの残ったメンバーを連れバカンスを楽しんだ。
豪華客船のクルーズパーティに招待された。
もちろんカレンも一緒だ。
ドレスコードのパーティに、カレンは身体のラインが出る黒いドレスに身を包む。
長い黒髪をアップして、首元は億はするだろうダイヤが散りばめられていた。
招待客の視線もカレンに集まる。
ジョーはそんな輪の中にはいなかった。
甲板で風に当たる。
ヨーロッパのある国にいるのに、パリにいる彼女には会えない…
「ジョー、どうしたの?」
カレンが後ろに立っていた。
「ちょっと風に当たっていただけだよ」
カレンはジョーの隣に来ると、手すりに腕を預ける。
ナイトクルーズだから、見えるのは漆黒の海と離れた場所のきらびやかな街の明かり。
そして満天の星
「今シーズン調子いいわね、パパも大喜びよ」
「まだ半分残っている、油断は出来ないよ」
「次シーズンのシートもあなたにってパパが言っていたわ」
ジョーは返事をせず、何も見えない深い海を見つめていた。
カレンは盛り上がらない話に飽きたのか
「来シーズンの事はちゃんと考えておいてね、あなたにとっても悪い話ではないはずよ」
とだけ言い残し、船内に戻った。
ジョーは深く息を吐く。
何もなければ、昔の自分なら、こんないい話を棒に振る事はなかっただろう。
今は…
ふと日本の暑い夏を思い出した。
ギルモア邸の玄関までのアプローチに沢山の草花が並んでいた。
夏になるとひまわりが重い頭を下げ咲いている。
彼女は、涼しげなワンピースに大きな麦わら帽子をかぶっていた。
「まるで子供だな」
そうからかうと、ふくれ面になり、持っていたホースで水をかける。
お互いにホースを取り合い、ビショビショになる。
その姿に2人で大笑いした。
はっと我に返る。
一度瞼を閉じ、何かを焼き付けるようにじっとすると、方向を変え、船内に戻った。
5
秋になった。
日本で開催されるレースも近くなり、日本でもあちこちにジョーの姿を見る事となる。
フランソワーズは、ジョーのレースを全く見なくなっていた。
でも時々帰ってくるメンバー達から、今シーズンは調子がいいと聞いていた。
来シーズンのシートも約束されている。なんて話も聞こえてきた。
1シーズンだけという約束だったはず。
でもそれはシーズン前の話で、調子が良ければチームだって、スポンサーだって…
スポンサー…
それから数日後、レースのチケットが送られてきた。
「足りないようなら手配するから」
そう書いてあった。
関係者用のパドックパスだから、パドックにも入れる。
その場にいたジェットやピュンマは大喜びだった。
「もちろん…行くよね?」
ピュンマはフランソワーズに確認する。
フランソワーズは首を振る。
「何だよ!こんないいチケット棒に振る気かよ!」
ジェットはありえないといった顔をしている。
「あなた達で行ってきて」
ピュンマは黙ってフランソワーズを見ていた。
6
母国グランプリとなると、家族や恋人も駆けつける。
カレンはパドックにいたジョーに近づく
「落ち着かないみたいだけど、待ち人は現れたのかしら?」
ジョーは黙ってカレンから離れる。
シーズンが始まってから、彼女に全く会えなくなった。
連絡をしても素っ気なく、避けられていると感じたのは秋に入った頃だった。
日本に戻るから何処かで会わない?と声を掛けたが、バレエの公演が近いからと断られた。
今までなら…時間を作ってでも会ってくれていたのに。
そして今日、まだ彼女は現れない。
ジェットとピュンマに声を掛けられた。
「久しぶり、元気だった?」
ピュンマがジョーの耳元でボソッと言う
「フランソワーズは可愛いヤキモチ中のようだ。気にする事ないよ」
「え?」
聞き直したが、繰り返す気はなさそうだ。
「フランソワーズの奴もったいねーよ!こんな間近でレース見れるなんて機会はないのによ」
「まぁ興味なければ仕方ないさ」
ピュンマがフォローする。
ピュンマの視線の先には、さっきからこっちを気にしているカレンの姿。
視線が自分にあると気づいたカレンは、ピュンマ達の元に来る。
「お友達?初めまして」
「お噂はよく聞いてますよ」
ピュンマが笑いながら握手をする。
チームのTシャツに細身のジーンズとカジュアルながらも美しさは相変わらずで、
フランソワーズが来たがらない理由もピュンマには理解が出来た。
ジョーはフランソワーズに自分の仕事している姿を見せたかったんだろうな…。
フランソワーズの心情と同時に、男としてのジョーの心情まで察してしまい、カレンが後ろを向いたスキにあっかんべーをするピュンマだった。
7
テレビには表彰台に上がるジョーの姿。
フランソワーズはソファーに寝そべって、今回のレースのチケットを眺めていた。
英語でインタビューに答えている彼の姿や、レースを終え、マシンから降りた瞬間飛びついてきたカレンの姿など気にする事なくただチケットを眺めていた。
来シーズンも期待が高まるとの実況アナウンサーの声も、フランソワーズの耳には届かなかった。
ソファーから身体を起こすと、テラスに向かう。
天気はいいが目の前の海はもう夏の様相ではなかった。
ジョーと過ごした日々が遠い昔に感じている。
もうこの家に彼の姿を想う事もなくなった。
彼の夢…彼のやりたい事…
本当に?
お金で動かされているような世界で?
彼は…彼らしくいれているのかしら…
リビングでは誰かからの電話が鳴っている。
フランソワーズは気付く事なく、砂浜に降り、秋の海を眺めていた。
「…出かけているみたいだね」
ピュンマが携帯を耳に当てている。
連絡が取れないというジョーの代わりに電話してみたのだが、留守のようだ。
「ありがとう、もういいよ」
明るく笑うジョーだったが、心中は穏やかではないだろう。とピュンマは考える。
フランソワーズも素直になればいいのに。
ジョーも連絡が取れない事をとても気にしているのに、この後ファンイベントがあり、次のレースが開催される国へ移動しなければならない。
後ろ髪を引かれる気持ちのまま、日本を離れる。
8
1年余り世界中を回ったシーズンを終え、来期のシート獲得の報道があちこちで聞かれるようになった。
優勝こそはしなかったものの、チームへの貢献は目に見えるほどで、スポンサーだってジョーを手離す気は無いだろう。
フランソワーズは砂浜に降りひとり冬の海を眺めていた。
夏の穏やかな海と違い、波の高い荒れた海。
風もまだ冷たい。
ここに2人で座り、お互いの事を話していた日々がとても遠く感じる。
来期の事で忙しいのか、最近は連絡もないから、どんな声をしているかさえ忘れてしまいそうだった。
連絡が来ても居留守を使ったりしていたから、彼も呆れて連絡をよこさなくなるのは当たり前なのかもしれない。
「嫌われちゃっても仕方ないかな…」
ひとりごとが風に流れる。
「嫌われたのはボクの方じゃない?」
忘れている…なんて嘘。
聞きたかった声に振り返る
「ジョー⁈どうして?帰るなんてひとことも!」
「だって帰るって連絡したら逃げちゃうかと思ったから」
ジョーはフランソワーズの隣に座る
「来期の事はいいの?今忙しい時じゃ…」
「ワンシーズンという約束だから」
「スポンサーはあなたにもう1年と言っているって…」
「え?記事とか読んでいてくれたんだ。
サードドライバーの若手を是非と勧めたら、納得してくれたよ、こんな愛想のないのより、若手イケメンレーサーの方が需要あるから」
「スポンサーの娘さんは…」
「サードドライバーに夢中だよ、ボクは捨てられたのさ」
ジョーが笑う。
「キミが何故ボクを避けていたのかわからないけれど、ボクはキミの存在があるからこそ、1年間頑張れた。」
フランソワーズは久しぶりに間近で見るジョーを直視する事が出来ずに俯く。
「会えない日がどんなに辛かったかも、この1年で実感した。当たり前の日々が幸せだったって事もね」
フランソワーズはそっと顔を上げる。
遠くに行ってしまったと思っていた恋人は、1年前と何一つ変わらぬ姿で側にいた。
「どうしてボクを避けてたの?」
「もう…私の手の届かない所に行ってしまったかと思って…私なんかが側にいたらあなたに迷惑かと…バカみたいよね」
「そうだな、バカみたいだ」
ジョーの言葉に完全に顔を上げると、優しく笑う彼の顔。
「ボクはいつもキミの側にいた。距離は遠かったかもしれないけれど、心はいつもキミの側にいたはずだ。それに気づかないなんてバカだよ」
ジョーはフランソワーズの肩を抱く。
「こんなに会いたかったのに…」
久しぶりの彼の匂い、彼のぬくもり。
小さな声で
「もうどこにもいかないで…」と呟く。
ジョーはそっと身体を離すと、フランソワーズと向かいあい、抱き締める。
「テストドライバーで来てくれと言われているんだ、マシンが安定するまで…」
また日本を離れるんだ…
フランソワーズはがっかりする。
ジョーは再び身体を離すと、フランソワーズの両肩に手を置いた。
「一緒に来ない?」
「え?」
「今のチームのファクトリーはスイスにあるんだ、フランスに帰るついでにさ」
「え?」
「あ、でも若手イケメンドライバーに合わせたくないなぁ、彼はイタリア人だから」
「一緒に行っても…いいの?」
「日本でキミに来てもらいたかったのは、キミをみんなに紹介したかったからなんだけどさ、仕方ないからジェット紹介しておいたよ、もうチームメンバーは彼女に振られてジェットと…なんて噂まで飛び交って大変だったんだから」
ジョーはひとり大笑いしている。
「週刊誌とかはスポンサーの娘さんと噂になっているって…」
ジョーを避けていた本当の理由は、カレンの存在だったのかもしれない。
自分の存在でカレンが機嫌を損ねれば、チーム存続も危ぶまれるのでは、とも思っていた。
「ああいうゴシップ誌は間に受けない方がいいんだよ、チームメンバーはキミの事知っているから」
「え?」
「…写真見られた」
急に小声になる。
「写真…持っていてくれたの?」
「だから心はいつも側にいるって…わ!」
フランソワーズが突進してきたので、ジョーは後ろにひっくり返った。
「ありがとう」
フランソワーズはジョーの胸に顔をつける
フランソワーズの下敷きになった形のジョーだったが、フランソワーズの背中に手を回す。
「しばらくは写真でなく、ホンモノで」
ジョーが笑う。
フランソワーズもにこっと笑うと、ジョーにキスをした。
〜おしまい〜
2016.3.9~3.16